続「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か

(第227号、通巻247号)  
    例外のない規則はない、と言われるが、接頭語「大」の読み方についての規則は、例外があまりに多い。前号で述べたように、「大」の後に漢語(音読みの語)が続く場合は「だい」、和語(訓読みの語)に続く時は「おお」という規則だ。
    例外の典型として「大舞台」を挙げてみよう。「舞台」は漢語だから、上述の規則に従えば「だい舞台」となるはず。しかし、NHK放送文化研究所編『つかいこなせば豊かな日本語』(NHK出版)によると、スポーツの国際大会など「世界の大舞台」と言う時は「だい舞台」と読むが、古典芸能の放送の際には「おお舞台」と言う。それ以外は両用の読みをしているそうだ。
    「大所帯」は、「おお」と読む人もいれば「だい」と言う人もいるだろう。規則に合わせられないのは「大」+カタカナ語だ。たとえば「大スクープ」は、「だい」と言うのが普通。つまり、カタカナ語を“漢語”扱いにしているも同然、という妙なことになってしまうわけだ。
    このような現実を追認して、文化庁編『言葉に関する問答集 総集編』は[「大」を「だい」と読むか、「おお」と読むかについては規則性があるとは思われず、多分に慣習的である]と率直に述べている。では、本題の「大地震」に戻って考えてみよう。
    1603年に日本イエズス会によって発行された『邦訳 日葡辞書』(岩波書店)は、中世から近世にかけての日本語を集めた日本語研究の第一級資料である。単語の種類、意味、用法が分かるだけでなく、当時の発音を知る上で必須の文献である。ポルトガル語に基づいたアルファベットで表記されているからだ。「大地震」についてあたってみると、「ダイヂシン(大地震)」とある。『方丈記』では「ない」と表現していた地震のことを「ぢしん」と漢語読みしているのが目につく。この点は、規則と合っている。
    ところが、現行の国語辞典の扱いはバラバラである。規範意識の高いとされる『岩波国語辞典』(第7版)の場合、「だいじしん」の見出しに「大地震」の漢字をあて、「マグニチュード7以上の地震気象庁では、単に大きいことを言う時には『おおじしん』と言う」としている。「おおじしん」の見出しの項には、大きな地震の意の日常語とあり、「だいじしん」の項を見よ、という矢印をつけている。
    『明鏡国語辞典』(大修館書店)は、第2版(2010年12月)では「大地震」について「おおじしん」と「だいじしん」の2種類の見出しを立てている。主見出し扱いは「だいじしん」の方で、語釈の後にわざわざ「古くから『だいじしん』『おおじしん』ともに使われる」との注をつけている。なのに、初版(2002年12月発行)では「大地震」の見出しそのものを立項していない。「古くから使われている」にしては解せない扱いだ。
    同じ辞典でも版が違うと記述が異なるのは『明鏡国語辞典』に限らない。『新明解国語辞典』(三省堂)を例に取ると、初版(1972年発行)、2版(1974年)には「大地震」は見あたらない。ようやく登場するのは3版(1983年)になってからだが、一人前の見出しとして扱われたわけではない。造語成分としての「大(だい)」の漢字の項で、「大」のつく語の一例として載ったに過ぎない。4版(1989年)もまったく同様だった。
    大変身するのは、1997年11月発行の第5版からだ。まず、造語成分としての「大(だい)」の項に「大地震(ダイジシン/オオジシン)」と2種の読みのフリガナがつけられた。さらに驚くべきことに、「おおじしん(大地震)」の独立した見出しを立て、次のように詳細に説明しているのだ。
    [震度が大きく、被害が広域にわたる地震。地域名、年号を冠して言う時は「ダイジシン」と言う。例:濃尾大地震安政の大地震]《注1》
    そして不思議なことに、「だいじしん(大地震)」の項に「『おおじしん』の新しい言い方」とあるのだから驚く。版と版の間の一貫性を欠くどころか、同じ一冊の辞書の中でもまったく統一がとれていないのだ。
    要は、「だい」でも「おお」でもいい、ということなのだろう《注2》。上述の文化庁編『言葉に関する問答集 総集編』は、「いわゆる“ゆれている語”である」として“正解”を出していない。
    それにしても、「大地震」をどう読むかで始めた言葉の探索だったが、副産物として、厳密な編集作業の結晶と思われている辞書の意外な“暗部”を見てしまった思いだ。古語で地震のことを「ないふる」(大地が震える、揺れる)と言うと前号で紹介したが、ずいぶん長い間、それも何百年間も揺れ続けている言葉もあるのだ。


《注1》 2005年1月発行の最新の第6版も、5版とほとんど同じだが、「震度が大きく、被害が広域にわたる地震」の語釈の「広域」を「広範囲」と変えている。
《注2》 NHKの『つかいこなせば豊かな日本語』には、「阪神・淡路大震災の年(1995年)の11月に行った『ことばのゆれ』全国調査によると、『大地震』を8割近くの人が『だいじしん』と言っている」とあり、「おお」より「だい」がしだいに増えている、と解説している。