ベニスとヴェネツィア

(第211号、通巻231号)
    
    「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」。外国の人名や地名などの固有名詞の表記の多様ぶり、乱れを皮肉った戯れ歌だ。そのゲーテの作品に有名な『イタリア紀行』がある。先週のブログを休載したのは、実は私がイタリアに観光旅行に出かけていたからだ。付け焼き刃でも旅先についての予備知識を得ておこうと出発前から読み始めた『イタリア紀行』を、イタリアへの機中でともかく飛ばし読みした。紀行文なのだから、当然、地名が頻繁に登場する。ローマ、ナポリシチリアなど表記が定着している所はいいとして、表記がばらばらで戸惑う地名もある。
    
    たとえば、「ヴェネツィア」。日本では、ゴンドラが行き来する運河の街として知られる「水の都」だ。「アドリア海の女王」とか「アドリア海の真珠」とも称される。本によっては「ヴェネチア」、「ベネティア」などと書いているのもある。相良守峯訳の岩波文庫『イタリア紀行』の中では「ヴェネチア」という表記を用いている。
    
    まぁ、これらの例は同じ地名を指していると見当がつくが、「ベニス(ヴェニス)」となると、「ヴェネチア」とは別の街を指していると思う人もいるに違いない。私のこれまでの常識でも、シェークスピアの作品で言うと『ベニスの商人』であって、『ヴェネツィアの商人』ではピンとこない。また、カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞した『ベニスに死す』も定着した題なので、『ヴェネツィアに死す』では、別の作品かと勘違いしてしまう。同じ岩波文庫でも中野好夫訳のシェークスピア作品では『ヴェニスの商人』となっている。
    
    どちらも、間違いではない。要は、ベニス系は英語名の“Venice”からきており、ヴェネツィア系はイタリア語の“Venezia”に基づいた表記なのである。かつてはベニスというのが普通だったが、近年は外国地名をカタカナ表記する場合、現地語の発音を優先する傾向にある。新聞などの表記も「ベネチア」《注》に統一している。
    
    ごくおおざっぱに言えば、シェークスピア作品を指すときは「ベニス(ヴェニス)の商人」が定訳。それ以外は「ヴェネツィア」が多数派になっている感じだ。三大国際映画祭の開催地の一つとして報道される時「ベネチア映画祭」と表記されることが多い。この映画祭で何回も賞をとったことのある北野武監督は、現地でもっとも有名な日本人だという。
   
     ここまで書いてきて高校時代の苦い思い出がよみがえった。世界史に登場する人名がややこしくて手を焼いたことだ。シーザーのことを、ある参考書ではカエサルという。あるいは、カール大帝を英語読みでチャールズ大帝とかラテン語読みでカロルス大帝と表記されていたこともあり、社会科は暗記科目としかみなしていなかった田舎の高校生には苦痛以外の何ものでもなく、お陰で今もって歴史が苦手だ。今回のイタリア旅行も若い時に世界史をまじめに勉強していたならば、もっと有意義なものになっていたに違いない。
    
    「言語郎のイタリア紀行」は、ここに記すほどの中身はないが、言葉に関することで思いついたらその時あらためて書こうと思う。

 
《注》 新聞では、“v”音は「ヴ」とせず、“b”音または“w”をもって代用することになっている。