郷に入っては郷に従え

(第212号、通巻232号)
    
    「日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる」。往年のベストセラー、イザヤ・ベンダサンなるユダヤ人が書いたという触れ込みの『日本人とユダヤ人』(山本書店)《注1》で世に広まったもっとも有名な一節だろう。先月、イタリアを観光旅行して久しぶりに思い出した。
    
    まず、安全について。イタリアには100回も来ているというベテランの女性添乗員から何度も、この国ではスリ、泥棒に気をつけるようにと注意された。いわく「パスポートとお金は肌身離さず、服の内側にしまい、ポケットには最低限必要な小銭だけ入れておく」「バッグは肩からただ下げるのはひったくられやすい。首から斜めがけにしておくのが安全」。始めのうちは少々大げさではないか、と思って聞いていたが、行く先々で現地在住の日本人ガイドも、自分の被害体験を交えて同じことを口にする。これはよほど大変なのだと、道中のお金の出し入れには神経を使った。
    
    次に水。あちらの水道は石灰分などの多い硬水だ。ふだん軟水を常用している日本人には飲みにくく、人によってはお腹をこわしかねない。で、水道水は避け、ミネラルウォーターを利用するよう勧められる。日本でも最近はミネラルウォーターがよく飲まれるようになり、コンビニなどに様々な種類のペットボトルが並んでいるが、レストランや喫茶店に行けば黙っていてもまずコップに入った冷たい水が出されるのが普通だ。足りないときは「おひや」と言うだけで無料でサービスされる。ところが、イタリアでは、いちいちミネラルウォーターを買い求める必要がある。無料ではないのだ《注2》。
   
     トイレもやっかいだった。街中に公衆トイレがきわめて少ない。あってもほとんど有料制だ。建前は無料の所もあるが、たいてい入り口に「関門」がある。トイレの管理人なのか年配のご婦人がデンと座って、その前に小銭を入れる器が用意されている。無言の「強制力」だ。そこを通るには1ユーロ前後のチップを払わざるを得ない。これが結構面倒だ。日本で言えば、百円玉を2、3個、常に用意しておかなくてはならない。
   
     便法は、デパートや小売店、美術館などの施設のトイレで用を済ませることだが、数が少ないのが難点。とくに、女性用トイレは、日本のコンサート会場や劇場などでもそうだが、そもそも絶対数が少ない。団体旅行だと、一度にどっと殺到し長蛇の列となる。集合時間に間に合うかどうか気がもめる。イザヤ・ベンダサンがいまだ健在だったら、水と安全のほかにトイレも付け加えてほしかったところだ。
    
    とは言え、わずか10日足らずの旅行の間に簡便なイタリア式生活術にも慣れた。まさに「郷に入っては郷に従え」である。そう言えば、この格言の英語訳は、“When in Rome, do as the Romans do.”(ローマにありてはローマ人のごとくせよ)だ。


《注1》 『日本人とユダヤ人』。40年ほど前の大ベストセラー。ユダヤ人が見た日本人論の体裁を取り、山本七平という聖書学を専門とする出版社「山本書店」の経営者が訳者を務めたとされる。しかし、山本七平自身がイザヤ・ベンダサンでないか、という見方が根強くある。
《注2》 500ミリリットル入りのペットボトル1本で1ユーロ前後か2ユーロ。ガス(炭酸)入りとガスなしがある。