「しっせい」は「叱声」とは限らない

(第112号、通巻132号)
    
    「神は細部に宿る」という言葉がある。ちょうど1週間前の18日付け新聞各紙に一見したところ特に違和感はないが、よくよく考えてみると「細部」に問題のある記事が掲載された。問題というのは、中川昭一財務・金融相の辞任記者会見でのある発言――「しっせい」を新聞がどう表記したか、についてである。前回までの当ブログで漢字の読み方を巡る話題について書き連ねてきたところでもあるので、少しだけこの問題に立ち入ってみたい。
    
    朝日、毎日、読売など数紙は、「午後の予算委員会で与党から叱声(しっせい)もいただき、一日も早い成立という私の希望が実現しにくい状況にあると判断」したため辞任を決意した、と書いた。この記事を読んだ同僚が「‘しっせい’に‘叱声’という漢字を当てるのはおかしいのではないか」と疑問をはさんだ。改めて記事を読み返してみた私も同じような感想を抱いた。    
    
    正直に言えば、「しっせい=叱声」という語はないという思いこみが私にはあった。実際、手元にある二三の小型国語辞典には載っていなかった。ところが、念のため『広辞苑』などの中型国語辞典に当たってみたところ、「しっせい」の項に以下のように掲載されていた。
  
    しっせい【叱正】叱って正すこと。詩文の添削を請う時の謙譲語。斧正(ふせい)。「御叱正を乞う」  
    しっせい【叱声】しかりつける声。
   
    しかし、言葉としてはあっても、あの発言の流れの中で用いたのには違和感が残る。似たようなことを言うなら「お叱りを受け」とでもするのが自然だろう。そもそも、あの発言は、前後の文脈からいって「しっせい」ではなく「しっせき(叱責)」と言うべき、と思うからだ。実は、その思いに応えてくれていた新聞があったのである。
    
    それは東京新聞である。他紙と同じ18日付けの紙面で、辞任会見の一問一答の該当個所を「予算委員会に野党が出席せず、与党からも叱責(しっせき)をいただいた」と正しい言葉遣いに直して収録していた。扱い面が9面という内側のページだったため、報道当日は気づかなかったのだが、「細部」にまで目配りした編集ぶりだ。
    
    「叱責」とは、言うまでもなく「他人の失策や過ちなどをしかること」。小学館の『現代国語例解辞典』には「叱責を受ける」の例文が添えられている。上述の内容をむりやり戯れ言風にまとめると――「しっせい」の発言の意味も吟味しないまま「叱声」と表記したとしても、紙面化の前に「叱正」を乞うていれば後で「叱責」を受ける恐れはない。もっとも今回のケースは、率直に言って見解が分かれるところではある《補足》。
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    「叱声」「叱正」だけでなく、同音語はやっかいである。執政、失政、湿性なら意味がまるで違うので問題ないが、似通った意味の言葉やニュアンスが違うだけでほとんど同じ意味の言葉の場合は使い分けが難しい。前回の当ブログのコメントに「甥っ子の勉強を見ていて、暖かい/温かい、計る/量る/測る、などの使い分けに当惑する」という趣旨の声が寄せられていたのもうなずける。というのも、国語辞典の多くは、“同音類似語”の漢字の使い分けにあまり厳密な説明はしていないからだ。その点、英和辞典の方がよほど説明が行き届いている。

《補足》 この辞任会見は、文章で書かれたテキストはなく、口頭だけで行われたと見られるので、出席した記者は「しっせい」という音を自分なりの判断で漢字に変えて書き、本社の編集スタッフがチェックした上で紙面化したと思われる。今回取り上げた「しっせい」は、ニュースの中核になるキーワードではなく、記事の中ではむしろ枝葉末節な言葉にすぎないが、ニュースによってはしかし、この種の何気ない語が記事の根幹に関わる場合もあるので、あえてこだわってみた。
     こうした編集作業にあたっては、発言者が日本語としておかしい言葉遣いをしたり、客観的な事実をうっかり間違えて言ったりしていた場合、一律に対応するわけにはいかない。本来の正しい表現に直す、近い意味の言葉に言い換える、忠実に発言通り書いて注をつける、など状況に応じた方法を取らなくてはならず、まことに悩ましい問題を含んでいる。