「団塊の世代」の「団塊」読み間違い

(第95号、通巻115号)
    「団塊の世代」の大量定年退職が始まったのは昨年からだ。この第一波がおとずれる何年も前から「団塊の世代」の退職は大きな社会問題としてクローズアップされ、マスコミに毎日のように登場しているので、読み間違えるケースはまれだろう。しかし、一昔前には当の「団塊の世代」に属する一員なのに、自分たちを「だんこんのせだい」と呼んでいる人もいたものだ。ましてや、この世代よりはるか下の30代、40代が正しく読めないのはやむをえないのかもしれない。
    もちろん正しい読みは「だんかい」である。作家の堺屋太一氏が30年以上も前に『団塊の世代』という題名の未来予測小説を書いた。かつて通産省鉱山石炭局(当時)に席をおいたことのある堺屋氏が、突出して人口の多い世代《注1》を地質学用語のノジュール(団塊)《注2》になぞらえて名付けたものだ。
    「団塊」の「塊」は訓では「かたまり」と読むが、「こん」と読み方はない。ついそう読んでしまうのは「魂」に形が似ているからだろう。こちらの訓読みは「たましい」。高校野球などでよく使われる「一球入魂」(いっきゅうにゅうこん)」の「魂」である。「慣用読み」でも「こん」とは言わない。明らかな誤読である。
    「団塊」と並んで誤読が意外に多いのは「凡例」だろう。辞書など書物の最初の方に、編集方針や構成、使い方などについて説明してある部分だ。つい読み飛ばしてしまいがちだが、読んでおくとその本の使い勝手がよくなる。もちろん、正しい読み方は「はんれい」である。かなり学識のある人の中にも「ぼんれい」と読み誤っているのを耳にすることがあるが、言葉の新しい姿に比較的な寛容な『三省堂国語辞典』でも「『ぼんれい』はあやまり」と明記されている。
    文章を読み書きするうえで欠かせない「句読点」についても誤読している人が目立つ。いうまでもなく文の終わりや区切りにつける符号の「。」(まる)や「、」(てん)のことだ。「。」を句点、「、」を読点(とうてん)という。二つ合わせて「句読点」(くとうてん)と呼ぶのがならわしだが、これを「くどくてん」と言うようでは、読書の“功徳”(くどく)もなくなってしまう。
    書斎での読書、執筆に疲れて気分転換に芝居見物へ出かけたと仮定しよう。幕と幕の間の休憩時間を「幕間と書いて「まくい」と言う。幕の内、も同じ意味だ。幕の内弁当の由来でもあり、観劇の楽しみの一つだが、この「幕間」を「まく」と読む人が少なくない。ちなみに、この原稿をワープロで書いている今「まくま」と打ってATOKで変換したところ、「幕間《『まくあい』の誤読》」と出た《注3》。「まくま」と間違って読んでいる人が多いことの表れだろう。 
    芝居がはねた後で、入院中の友人を見舞ったとしよう。「漸次」快方に向かっているようでほっとする。この「漸次」とよく混同されるのが「暫時」だ。意味も発音も違う。「漸次」はしばしば「ざんじ」と読まれるが、まったくの間違い。正しくは「ぜんじ」。「しだいに。だんだん」の意だ。もう一つの「暫時」の方の読みが「ざんじ」で意味は「しばらくの間。少しの間」。会議が長く続いた場合などに「暫時休憩にします」のように使われる。
    今回は「三大慣用読み」に続いて「五大誤読」を挙げてみた。むろん、私の独断と偏見で選んだもので、格別な根拠があるわけではない。
 

《注1》 一般的には1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の間に生まれた世代を指すが、1953年(昭和28年)ぐらいまで拡大して言うこともある。  
《注2》 ‘nodule’。こぶ。植物学や医学用語で「小瘤(りゅう)、小結節」ともいうが、地質・鉱物学では、堆積物の中に珪酸や炭酸カルシウムなどが固まってできた硬くて丸い「団塊」を指す。
《注3》 『広辞苑』第6版(岩波書店)は「まくま」も空見出しに出し、「まくあい」を見よ、としているが、この扱いは少数派。