「悪びれる」様子もなく

(第84号、通巻104号)
    正統的な意味からすると、間違った用い方をしているのに、文脈上はそれなりに通じる言葉がある。例えば「悪びれない」という語。 犯罪報道の記事などで「容疑者は、大勢のやじうまの見守る中、悪びれた様子もなく警察署に連行された」《例1》というように使われる。記事を目にする側も、凶悪な事件を起こしたのに悪いことをしたという罪悪感も反省の色もない奴だ、と解釈して読み飛ばし、なにも不思議に思わない。「悪びれる」の「悪」の字に引きずられるせいだろう。
    「悪びれる」《注》の正しい意味は、『明鏡国語辞典』(大修館書店)によれば「気後れがして、おどおどと卑屈にふるまう」で、下に打ち消しの語を伴うことが多い、とある。日本最大の辞典の国語辞書『日本国語大辞典』第2版(小学館)は、語義を6項目に分類して詳述しているが、その2番目に「悪者として捕らえられた人が、おどおどしたり、恥ずかしそうにしたりする。卑屈な態度をとる」の意を挙げている。
    この語に打ち消しの「ない」をつけ「悪びれない」「悪びれる様子もない」という風にすれば、「おどおどしたり、恥ずかしがったりしない」、つまり、何も気にすることなく平気でいる、という意味になる。冒頭に挙げた例文に即していえば、「容疑者は、大勢のやじうまの見守る中、恥ずかしがってびくびくしたりする様子もなく警察署に連行された」となり、特に違和感はない。容疑者の内面はともかく、端から見た外見上は共に「平然」としている点では共通しているからだ。
    では、「最近の新人は遅れて出社してきても悪びれる様子もない」《例2》という文の場合はどうだろうか。ふつうなら、申し訳ありません、と恥ずかしそうに身を小さくするところなのに、実際には「なんら周囲を気にする風もなく」と出社してくる。この文からは、それを見た先輩社員の舌打ちが聞こえてきそうな感じがする。
    一方、『日本国語大辞典』には、「悪びれる」の4番目に「人前などで恥ずかしそうにする」の語釈を示した後にこんな文例が載っている。森鴎外の小説『ヰタ・セクスアリス』から引用した「令嬢は俯向かないで、正面を向いてゐて、少しも悪びれた様子がない」という一節だ。
    この鴎外の文例は、もちろん正統的な使い方なのだが、例1とも例2とも異なる感じがする。 ともかく、本来の正しい用法と誤用との線引きが難しい言葉ではある。

《注》 この語は、近代に入ってから生まれた比較的新しい言葉のように思いこんでいたが、実は古くからある日本語だ、と今回初めて知った。『岩波古語辞典』補訂版の「悪びれ」の項には「気おくれして卑怯な態度を見せる。未練がましく振る舞う」としっかり載っている。 国語辞典の中には「悪怯れる」と表記しているのもある。怯(おび)える、卑怯(ひきょう)だ、の「怯」である。

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