「君子豹変」。本来はいい意味だったのだが…

(第66号、通巻86号)
    「君子は豹変す」と言えば、どんなことを思い浮かべるだろうか。プラス的なイメージとマイナス的イメージとの二者択一なら、大半の人がマイナス的イメージの方を選ぶのではあるまいか。

    「君子」は、「聖人君子」という熟語があるように「学識、人格共に優れた徳の高い人」という意味だ。現代風に分かりやすく言い換えれば、社会的な地位が高く教養豊かな紳士、といったところか。また、「豹変」は、「性行や態度、意見などががらりと変わること」。そういう二つの語から成り立つ「君子豹変」は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、本性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味で使われることが多い。

    しかし、各種の辞書類にあたってみると、上述の用法は本来の意味とはどうも違う《注》。例えば『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)の説明はこんな具合だ。「君子豹変す、というが、あの男の変わり身の早さには感心するよ」という文例を挙げて「誤用が定着したもの。今では誤りとは言い切れないが、本来の意味からは遠い」と記述しているのである。

    では、本来の意味とは。中国の『易経』の「君子は豹変す。小人は面を革(あらた)む」に由来する。『大辞林』第3版(三省堂)などによると、豹の毛が季節の変わり目に抜け替わって斑紋も鮮やかに美しくなるように、徳のある君子はすばやくはっきりと誤りを正すが、徳のない人は外面だけを改める、ということである。

    つまり、本来は、過ちを改めることを評価する肯定的な意味だった。『新和英大辞典』第5版(研究社)には‘A wise man changes his mind, a fool never.’という英訳が示されている。別の中国の格言で言えば、「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(『論語』)と相通じるものがある。

    それが、実際には、節操なく変わり身が早い、という悪い意味で用いられるようになって久しい。おそらくは、豹という動物の凶暴なイメージの連想からきたのだろう。ほとんどの国語辞典がその否定的な用法を追認し、本来の意味と並立させている。規範意識が強いとされる『岩波国語辞典』第5版でさえ「もとは、よい方への変化を言ったが、今は前言を平気でがらりと変えるなど、悪い方を言うことが多い」とまで書いているほどなのである。言葉の変化の勢いと辞書の関係もまたおもしろい。


《注》 『岩波ことわざ辞典』(時田昌瑞著)、『大辞林』第3版(三省堂)、『現代国語例解辞典』第4版(小学館)、『明鏡国語辞典』(大修館書店)など参照。