「気が置ける」人とは?

(第65号、通巻85号)
    「気が置けない」はたいていの国語辞典に載っているが、肯定形の「気が置ける」が収録されている辞書はほとんどみられない《注》。前回のブログで参考にした『ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)は、文学作品からの用例まで添えて語義解説している珍しい部類だ。しかし、よくよく考えてみれば、否定形の言葉は肯定形があってはじめて生まれるのが自然で、決して逆ではない。   

    『言葉に関する問答集 総集編』(文化庁編集)という本がある。大蔵省印刷局(現、国立印刷局)というお堅い出版所から刊行されているせいか、一般の書店で扱っているのはまれだが、知る人ぞ知る名著である。その本に、「気が置けない」という言葉について詳細な考察が述べられているので、要点をかいつまんで紹介しよう。

    まず、「気を置く」という言い方があった。「1、格別の注意を払う、気づかいをする」「2、遠慮をする」「3、心が許せない」という意味だ。それが「気が置かれる」、「気が置ける」と変わってきた。その変化と平行して「気を置かない」、「気が置かれない」、「気が置けない」という否定形の言い方も使われるようになった。慣用句として成立したのは、近世後期とみられている。江戸時代から明治、大正はもちろんのこと昭和も第二次大戦の前までは、文学作品でも、「気が置ける=気ガ許セナイ」、「気が置けない=気ガ許セル」という意味で使われており、乱れはない。

    この状態に変化が見られるようになったのは、昭和30年代から40年代と推測される、という。その例証の一つとして、『現代日本語用例全集』第1巻(筑摩書房見坊豪紀著)から「最近の高校生の中には、キノオケル人という言い方を、自分の気持ちをさらけ出しても大丈夫な安心できる人、の意に用いている者がある」という報告例を引用している。

    『言葉に関する問答集 総集編』には、NHK放送文化研究所が昭和56年に東京都内の中学生に対して行った調査結果も載っている。「『気の置けない人』はどんな人か」との設問に、1)油断できない人=48.2パーセント、2)気楽につきあえる人=4.1パーセント、3)つきあいにくい人=18.8パーセント、4)いつもせかせかしている人=19.0パーセント、という回答率だった。正解として期待されたのは、言うまでもなく2)である。それが5パーセントにも満たないとは、信じられぬ思いだ。

    たかが「気」、されど「気」である。言語学者で辞書編纂者でもある柴田武氏は『知ってるようで知らない日本語』(ごま書房)の著作で次のように述べている。
〈 「気が進む」の「気」が、引かれる心であるのに対して、「気がおけない」の「気」はあれこれ考える心である。だから、「気が置けない」は、あれこれ考えなくていい、心の壁を置かない関係となる。こうした「気」に気づかないと、人間関係を損ないかねない〉
    前々回の「役不足」の最後に私が使ったのとほぼ同じ言い方で言葉の誤用の影響を憂慮している。


《注》 わが国最大の『日本国語大辞典』第2版(小学館)には掲載されている。

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