「気が置けない」人は心許せる間柄か

(第64号、通巻84号)
    勝手に名付けた「三大誤用語」の3番目に挙げるのは「気が置けない」(あるいは「気の置けない」)という慣用句だ。これも会話でしばしば使われる言い回しであるが、「役不足」と同様、逆の意味に取っている人が多い。例によって、文化庁の「国語に関する世論調査」(平成18年度)の結果をみてみよう。

    「その人は気が置けない人ですね」という例文の解釈として、1)相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと、という答えが4割強、2)相手に気配りや遠慮をしなくてはならないこと、というのが5割弱だった。
    本来の意味は、1)の方である。2)は間違った解釈だ。最近はしかし、2)の誤った解釈を悪い意味に拡大して用いるケースが多いようだ。国語辞書にわざわざ注をつけているのは、その表れだろう。たとえば『大辞林』第3版(小学館)では、「気遣いする必要がない。遠慮がない」との語義に添えて「気が置けない仲間どうし」の用例を挙げ、「気が許せない、油断できない、の意で用いるのは誤り」とはっきり記述している。

    語釈だけでなく、用法についても詳細に解説しているのが『ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)だ。以下のように、記述の仕方も分かりやすい。

    まず、語の基本的な意味を、「気遣いする必要がなく、心から打ち解けることができる」と定義し、「気が置けない仲間と旅行する」「気の置けない宿だから、わが家にいるようにくつろげる」の例文を示している。その上で「人にも人以外の物事にも使う」と用法を明記しているのがユニークだ。

    さらに、上述の『使い方辞典』は、肯定形の「気が置ける(置かれる)」についてまで言及。「緊張したり気詰まりだったりして打ち解けない意」との語釈に続けて「あの人は気が置けるから疲れる」(森鷗外『青年』)と文学作品からの文例も紹介している。そして、親切にも、〈「気が置ける」と取り違えて、気が許せない、油断がならないの意に使うのは誤り。「×彼は気が置けない人だから注意した方がいい」〉とまで書いているのである。実をいうと、私自身は「気が置ける」という肯定形の用法があることを知らなかった。

    「気が置ける」と「気が置けない」の混用は、言葉に相当詳しい人にも見られるようだ。以下に、混用を絵に描いたような“傑作”なエピソードを紹介して今回のブログの締めとしよう。英文学者・言語学者外山滋比古氏が30年ほど前に体験した話だという。 
〈私が新聞に書いた文章の中で「気のおけない仲間と食事をして……」という表現を使ったところ、関西の未知の読者からはがきをもらった。「気のおけない」とあるのは、間違っている。「気のおける」としなくてはならない、というご指摘だ。はがきには、続けて「ケアレス・ミスと思いますが、貴殿の御専門上、訂正されるがよかろうと考え、まずはお知らせまで」とあった〉=《注》。

    もちろん、訂正すべきは読者氏のはがきの方である。


《注》 『三省堂国語辞典』編集主幹・見坊豪紀氏の『現代日本語用例全集』第1巻(筑摩書房)から引用したが、原文のままではない。主旨を損なわない範囲でこのブログ用に書き換えた。

《次号予告》 今号は26日(水)午前0時10分過ぎに発信したが、それから24時間の1日当たりのpv(ページビュー)が400を超えた。地味な当ブログとしてはこれまでにない記録的な数字だ。「気が置けない」という題材が大きな関心を集めたと思われるので、次号も同じテーマを引き続き取り上げようかと思う。