「役不足」のミステリー

(第63号、通巻83号)
    半年前から勤め始めた私の「第二の職場」の周辺は、街並みがしゃれているせいか、しばしばTVドラマのロケ地になる。つい2週間ほど前には、テレビ朝日の「赤川次郎ミステリー4姉妹探偵団」(最終回)の撮影が行われ、そのロケ・シーン入りのドラマが1週間後に放映された。普段は見ない番組だが、ロケで興味をそそられていたので途中から見始めたところ、台詞に「役不足」という語を使った言い回しが何回も出てくるのに気付いた。前回のブログで予告していたように、私が次に取り上げるつもりでいた題材だ。

    偶然にもその「役不足」という言葉がドラマのキーワードになっていたようなのだが、「君が(交際)相手じゃ○○には役不足だ」、「あんたこそ○○さんには役不足だよ」などという使い方にどこか違和感があった。

    「役不足」とは、『明鏡国語辞典』(大修館書店)の語釈を借りれば、「その人の力量に比べて与えられた役目が軽すぎること」をいう。元々は、芝居や演劇で役者・俳優が、割り振られた役柄が軽すぎると不満を抱くことを意味した言葉だ。「彼には課長では役不足だ」、「役不足をかこつ」などと使われる。時には、上司が部下に「君には役不足かもしれないが、例の件のプロジェクトの主任を引き受けてくれないか」といった用い方もできる。

    しかし、自分のことをへりくだって「今度のポストは私には役不足と思いますが、全力で頑張ります」と言うのは間違いだ。あるいは、分不相応に高い地位や重い役目に就くことを頼まれ、それを断る時に「大変な役不足で、私にはとてもそんな大任は務まりません」とか「PTAの会長になるなんて私には役不足です」とか言うのも明らかに誤用である《注》。言いたいことは、「私には大役すぎる」「荷が重い」と自分を卑下する謙遜の気持ちのはずなのに、断る口実のつもりで「役不足」を使うと、逆にそのポストや役目に不満を述べたことになる。「もっと重要なポストを用意しろ」と言っているのも同然で、相手に尊大な印象を与えてしまう。

    自分にはその任にふさわしい力量が不足している、と謙遜するなら「私では力不足ですが、一所懸命やらせていただきます」というのが常識的な言葉遣いだ。「力不足」を「役不足」と言っては正反対の意味になってしまう。意味が逆になるという点では、前回取り上げた「流れに棹さす」と同じだが、実際の会話では「役不足」の方がはるかによく使われる。しかも人のメンツに関わる用語なので、誤用によって人間関係に思わぬひびが生じないとも限らない。


《注》 『言葉に関する問答集 総集編』(文化庁編集)、講談社現代新書日本語誤用・慣用小辞典』(国広哲弥著)のほか、各種国語辞典を参照。