「流れに棹さす」の意味は変わった?!

(第62号、通巻82号)
    
    「流れに棹さす」、「役不足」、「気が置けない」。いずれも、間違いやすい言葉の代表的な例として受験対策の参考書や日本語物知り読本のたぐいによく出てくる。「三大誤用語」とでもいうべき存在だから当ブログでわざわざ扱う必要はないと思っていたが、ちょうど1年前に文化庁が行った平成18年度の「国語に関する世論調査」《注1》の結果を見て方針を変えた。誤用している人があまりにも多いと分かったからだ。例えて言えば「行く」を「来る」というように、逆の意味に取り違えているのである。コミュニケーションをはかる上で支障をきたすこともあると思われるので、まず第一弾として「流れに棹さす」を取り上げることにする。

    この成句、一般的には夏目漱石の『草枕』の書き出しで知られる。「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」の「情に棹させば流される」の部分だ。

    「竿」とは、岸辺や水底をついて舟を進ませる棒を指す。流れに乗って下る舟で、その竿を操ってさらに勢いを加速させることを「流れに棹さす」という。『岩波ことわざ辞典』(時田昌瑞著)によれば、初出用例は古く、「鎌倉時代の説話『十訓抄(じっきんしょう)』に二度ほど見える」とされている。

    上記のような原義から転じて、物事を時流に乗せて順調に進行させる例えに用いられることが多い。「彼は巧みに流れに棹さして今日の財を築き上げた」とか「あの企業は流れに棹さす形で急速に成長してきた」とかいった具合だ《注2》。

    ところが、現代では、本来の意味とは逆に、流れのままに動く舟をとどめるために流れに逆らって竿をさす、すなわち時流や大勢、流行に逆らう意と誤解して使われる例が目立つ。「時代の流れに棹さして世間から取り残される」という用例はその一例だ。

    文化庁の平成18年度「国語に関する世論調査」で、「その発言は流れに竿さすものだ」の一文を例示し、どの意味で使っているか尋ねたところ、1)傾向に逆らって、勢いを失わせる行為をすること、2)傾向に乗って、勢いを増す行為をすること、3)分からない、などの回答例のうち1)とした人が6割以上を占め、本来の意味の2)を挙げた人は2割にも満たなかった。しかも、世代別に見ても1)が多数派だった。

    本来の意味は「前に進む」なのに、「流れに抗する」、「逆行する」という意味で使うのであれば全く正反対になる。新用法と言うべきかはともかくとして、もはや、単にうっかり誤用しているという状況ではない。


《注1》 文化庁が、国語施策の参考とするため平成7年度から毎年行っている。平成18年度の「国語に関する世論調査」の実施期間は、平成19年2月14日から3月11日。(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h18/kekka.html

《注2》 『岩波ことわざ辞典』、『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(大修館書店)、講談社現代新書日本語誤用・慣用小辞典』(国広哲弥著)など。

《追加注》 この号を12日夜に発信して間もなく、『草枕』の「情に棹させば流される」の意味がいまだに分からない、とのコメントが寄せられた。上記の『明鏡ことわざ成句使い方辞典』の説明を借りて補足すると、「人情にほだされれば理性を失う」という意味だ。