「さわり」は、話の「出だし」か「聞かせどころ」か「要点」か ?!

(第58号、通巻78号)
    
    前回のブログは、予想外に反響が大きかったので、今回も引き続いて文化庁の「国語に関する世論調査」(平成15年度)の結果の中から興味を引きそうな語句を一つ取り上げてみたい。

    調査の内容を紹介した記事には「さわり」という語句もあった。「話のさわりだけ聞かせる」の例文を挙げて、1)話などの最初の部分のこと、2)話などの要点のこと、3)分からない、の3種類の回答の割合を示している。1)は59.3パーセント、2)は31.1パーセント、3)4.8パーセントという結果で、調査した文化庁によれば、本来の意味は、2)の「話の要点」としている。

    たしかに、「話の最初の部分」というのは間違いである。『現代国語例解辞典』第4版が、「曲や話の出だしの意で用いるのは誤り」とわざわざ注記している通りだ。しかし、文化庁が本来の意味とした「話の要点」という解釈も、私に言わせれば必ずしも正しいとは思えない。

    上記で引用した辞書や『明鏡国語辞典』、『日本国語大辞典』第2版などの説明をまとめると、「さわり(触り)」という名詞は、もともとは人形浄瑠璃義太夫節以外の他流の節(ふし)を取り入れることを“他流派に触る”と言ったことから生まれた。その触った部分は流派の違う節なので特徴ある印象的な節回しになり、義太夫節の曲中で一番の聞きどころになる。そこから転じて「芸能の見どころ・聞きどころ。話などの最も印象的な個所」を「さわり」というようになったのだ。音楽の曲の中で最も盛り上がるクライマックスの部分を意味する「サビ」と似ている。

    もっとも『広辞苑』第5版には、本来の語義に続けて「転じて、一般的に話や物語の要点」の意味も出している。文化庁の「模範解答」は『広辞苑』に準拠したと言えるが、私は、「要点」を容認するのは行き過ぎだと思う。「見どころ」、「聞きどころ」とは明らかに意味合いが違うからだ。短絡的でむしろ間違いに近い。少なくとも「本来」の意味からはかけ離れているのではあるまいか。

    知ったかぶりしてブログに駄文を書き連ねながらいつも感じることは、まことに日本語は奧が深く難しい、という思いである。次回にもう1度、文化庁の「国語に関する世論調査」の結果を題材にしてみたい。