「憮然」、「姑息」、「押しも押されもせぬ」の意味・用法は?

(第57号、通巻77号)
    
    普段あまり利用しない漢語辞典の一冊をたまたま開いたら、言葉に関する新聞記事の切り抜きが2枚出てきた。あとでスクラップ帳に貼るつもりでいて忘れたのだろう。その1枚に興味深い内容が書かれていた。「愕然・刺繍・剥製・破綻……」「読めるが書けぬ」という見出しで文化庁の「国語に関する世論調査」(平成15年度)の結果をまとめた記事だ《注1》。

    見出しに挙げられた語のうち「刺繍」「剥製」は、恥ずかしながら、私も正しく書ける自信がないが、興味をそそられたのは、それとは別の、語句の意味・用法を問う質問とそれに対する正答率だ。調査に用いられた語句の中からピックアップした標題の三つの語について言うと――

    まず、「憮然として立ち去った」のように使われる「憮然」という単語。「腹をたてている様子」の意味にとる人が実に回答者の7割近くにも達していた。しかし、正しい意味は「失望してぼんやりしている様子」だ。
    
    私が言葉の意味をまったく誤解していたのは、「姑息」だ。「今になってもなお、あんな言い訳をするなんて姑息だ」などと「卑怯(ひきょう)な」という意味でよく使ってきた。文化庁の調査でも大半の人がそうだった。ところが、冒頭にあげた切り抜き記事をきっかけにいろいろ調べてみると、ほとんどの辞書が「一時的な間に合わせ」という意味にしぼっている点では一致しており、今のところ揺らぎは少ない《注2》。三省堂の『新明解国語辞典』には、「『姑』は、ちょっと、『息』は、やむ、それでいい、の意」の注を添え、「根本的に対策を講じるのではなく、一時的にその場が過ぎればいいとする様子。その場しのぎ」と格段に詳しい語釈を示している。
   
     最後に挙げた「押しも押されもせぬ(押しも押されもしない)」は、「実力があって堂々としていること」だが、その意味のつもりで私は、時々間違って「押しも押されぬ」と表現していたような気がする。文化庁の調査でも、「押しも押されぬ」派が5割以上を占めていたというが、この語句に「ワード」の文章校正をかけたら「誤用語」との指摘が出た。前回のブログで取り上げた例でいえば、「ブー」というわけだ。

    ただ、この用法は古くから慣用的に使われてきたようで、菊池寛織田作之助らの作品にも文例がある《注3》。まぁ、「押しも押されもせぬ」そうそうたる作家でさえ、うっかり使うぐらいなのだから、私ごとき者が間違えたって「憮然」とすることもないが、自分では気付いていない同じような間違いはもちろんまだまだある。これからもマメに辞書を引くのをいとわないようにしようと思う。「姑息」な態度はとらずに。


《注1》 2004年7月30日付け「朝日新聞」朝刊。調査結果の詳細は、文化庁のホームページ「平成15年度『国語に関する世論調査』の結果について」(http://www.bunka.go.jp/1kokugo/15_yoron.html)を参照。

《注2》 最近刊行されたばかりの『三省堂国語辞典』第6版では、「あやまって」と注記した後に「卑劣な」の意味も挙げ、「姑息なやから」の例文を出している。ただ、『現代国語例解辞典』第4版が2項目で「ひきょうなさま、ずるいさま」の語釈を示し、「新しい用法」と“現状追認”しているように見える。

《注3》 『明鏡国語辞典』、『日本国語大辞典