『広辞苑』の「来し方行く末」

(第43号、通巻63号)
    1週間前の24日、朝刊各紙に岩波書店の『広辞苑』第6版の改訂内容が紹介された。「ニート」「デパ地下」「いけ面」「メタボリック症候群」「逆切れ」……。新しく収録される語に焦点をあて、毎日新聞は1面の左肩の囲み、朝日新聞は社会面トップ、読売新聞も第二社会面の真ん中に大きめの囲みで載せた。一出版社の一国語辞典の改訂としては、おそらく前例のない破格の大きな扱い。発売は来年1月というのだから前宣伝効果は絶大だろう。

    新聞各紙がこれほどまでに扱うのは、『広辞苑』のブランドイメージが強いせいに違いない。ひと頃は、新聞、雑誌のコラムなどで「広辞苑によれば……」という表現をよく見かけたものだ。『広辞苑』自身も「第5版の序」で次のように述べている。   [ 世にはもう一つ、枕に『広辞苑』によるという表現をとっての物言いがしばしば存在する。(中略)わざわざ当該語の意味を『広辞苑』で確認するのは、一種の権威づけの作用を持っているのではなかろうか ]

    しかし、国語の専門家や辞書マニアの間では、『広辞苑』がこう自画自賛するほど必ずしも高い評価を受けているわけではない《注》。『大辞泉』(小学館)、『大辞林』(三省堂)など同じ規模の中型国語辞典が出てきたせいもあるが、私がもっとも気になるのは、『新明解国語辞典』など他の辞書と比べ、既存の掲載語への配慮がなおざりになっていることだ。

    例えば、今週号のブログの標題に挙げた「来し方行く末」という成句の「来し方」の読み方。「こしかた」か「きしかた」か。
    現行の『広辞苑』第5版では、どちらの読みでも立項されている。いわゆる“空見出し”ではなく、それぞれにきちんと例文付きで語義が載っている。記述の仕方に若干の違いはあるが、意味としてはどちらも同じ。すなわち「過ぎてきた時。過去」と「過ぎてきた方向、また、その場所」の二つの意を示している。

    その上、「こしかた」の見出しのすぐ下に(「きしかた」とも)、「きしかた」の項には(「こしかた」とも)とあるのだ。これでは、利用者はどちらの読みを使うべきか判断できない。この辞書の編纂者自身が「来し方行く末」という語を口にする時は、一体どう発音しているのだろうか。

    二つの読みがある以上、昔は意味の違いもあったと考えるのが自然だ。文法的な、あるいは、音韻的な事情がなにかあったのか。第6版では、語法上の違いや使用上の留意点などを補足的にでも説明してほしい。(この続きは来週号で)


《注》 『「広辞苑」は信頼できるか』(金武伸弥著、講談社)、『広辞苑を読む』(柳瀬尚紀著、文藝春秋)、『広辞苑の嘘』(谷沢永一渡部昇一著、光文社)『広辞苑の神話』(高島俊男著、文藝春秋)など参照。