『武士の一分』」原作と映画の違い

(第7号、通巻27号)
    
    小説と映画。同じ題材を扱っても、作品づくりの手法は自ずから異なる。「武士の一分」の場合は、物語の構成法が違う。小説が「序破急」とすれば、映画のほうは「起承転結」を踏んで組み立てられている。
    
    このブログの移転第1号(1月10日付)で、武士の「一分」とは、と題して藤沢周平の原作を取り上げ、ぜひ映画も観てみたい、と書いた。その映画が、自宅から電車で10分足らずの近くにある小さな映画館にようやく回って来た。先週末、遅ればせながら観に出かけた。

    客席は満員。大半は年輩の客、しかもほとんどが夫婦連れだが、若い客も少なくない。中には、涙をぬぐう用意か、始めからハンカチを手にした人もいた。

    映画は尺八の音色をバックに始まった。原作は、主人公の三村新之丞が藩主の食事の毒見役をつとめていて貝毒にあたり、失明した後の場面から書き出しているが、映画では、毒見役について、まず字幕で解説。続いて、毒見した新之丞が倒れる前後のいきさつを丹念に描きながら、物語を時系列にそって展開させていく。

    節目、節目の合間に、時代背景を踏まえた城内の様子や当時の町並み、風俗などの点景を挿入。小鳥や虫、木々、草花など季節の移ろいを表現する“小道具”にも無駄がない。場面に応じた豪雨と雷鳴の出現も効果的だ。そして時に観客をクスリと笑わせるユーモアも混じる。

    映画の題名に取られた「武士の一分」というキーワードは、上映中に3、4回も出てきた。原作の「盲目剣谺(こだま)返し」〈注1〉ではわずか1回しか使われていなかったのだから、この言葉に山田洋次監督の思い入れがあったのは確かだろう。

    武士の一分というと、家名を重んじる封建的な感じがつきまといがちだ。しかし、山田監督は映画化にあたって夫婦の情愛を前面に出し、それを目に見える形で分かりやすく演出した。

    失明で存続の危機にあった三村家と夫の将来を案じた妻・加世の、藁(わら)をもすがる思いにつけ入り手込めにした新之丞の上司。その相手との果たし合いに勝った新之丞に「加世の敵(かたき)は討った」と語らせているのも単に「武士」だけの一分ではないからだろう。むしろ「夫婦」の一分と言った方がいいのかも知れない。

    その点で、この映画は舞台設定こそ江戸時代にしているものの、現代風にアレンジした愛妻物語でもある。実際、山田監督は脚本が出来る前の梗概(こうがい)にはタイトルを「愛妻記」としていたそうだ〈注2〉。しかし、中身は「愛妻物語」でも、映画の題としては「武士の一分」のほうが格段にいい。死語同然となっていた「一分」という言葉を復活させたとまでは言えぬにしても、「一分」の精神に再び光をあてた、と私は思う。
    
    と言っても、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を下敷きにしたミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」ほど原作とかけ離れているわけではない。映画のほうがエンターテイメント性を意識した作りで、作品全体の趣きも違うが、基本的には原作の小説と同じく“藤沢周平の世界”そのものである。ちなみに、英語の題名は“Love and Honor”(愛と名誉)というそうだ〈注3〉。

    観客の涙腺を刺激するのはラストシーンだ。果たし合いを終えて普段の生活に戻った頃、離縁されていた加世が、老僕の徳平の粋なはからいで女中として三村家に戻って来る。むろん、新之丞には素性を隠してのことだが、いくら目が見えぬといっても、自分の妻だった女に気付かぬはずはない。

    好物の料理の味でそれと知った新之丞は、台所の片隅で身を小さくしていた加世を徳平に命じて呼び寄せ、食後の白湯(さゆ)を所望する。そして、お湯の入った茶碗を手渡す加世の手を優しく握り返しながらしみじみ語りかける。
    「二度とおめぇの料理は食えねぇとあきらめて、徳平のまずいメシでずーっと辛抱してたんだ」。感極まり口もきけぬ加世に、「どした? ウチ留守にしている間に、舌なくしてしまったのか」と冗談めかして言う。このセリフは、原作を引用したものだが、「では、あなたのお側にいてもいいのですか」とようやく口を開いた加世をいとおしげに抱きしめる場面は、映画独自の演出だ。

    嗚咽する加世。「よく帰って来てくれた」と新之丞。映画では、再び妻として迎え入れることを具体的なセリフと映像で表現したわけである。

    それとは対照的に、原作の小説は抑制を効かせた筆致で次のように淡々と書かれている。余韻が残る終わり方である。少し長いが、以下に原文をそのまま引用しよう――。

    「今夜は、蕨(わらび)たたきか」〈注4〉と新之丞は言った。「去年の蕨もうまかった。食い物はやはりそなたのつくるものに限る。徳平の手料理はかなわん」。加世が石になった気配がした。「どうした? しばらく家を留守にしている間に、舌をなくしたか?」。不意に加世が逃げた。台所の戸が閉まったと思うと間もなく、ふりしぼるような泣き声が聞こえた。縁先から吹きこむ風は、若葉の匂いを運んで来る。徳平は家の横で薪を割っているらしく、その音と時おりくしゃみの音が聞こえた。加世の泣き声は号泣に変わった。さまざまな音を聞きながら、新之丞は茶を啜(すす)っている。


〈注1〉文春文庫「隠し剣秋風抄」所収

〈注2〉「武士の一分」オフィシャルサイト (http://www.ichibun.jp/

〈注3〉昨年10月、第19回東京国際映画祭の前夜祭で上映された際の英語の題名。(http://www.tiffjp.net/ja/lineup/works.php?id=37

〈注4〉新之丞の好物。映画では「芋がらの煮物」になっている。