続々「赤とんぼ」。「お里のたより」とは何を指すのか

(第250号、通巻270号)
    
    童謡「赤とんぼ」の謎をめぐるブログの3回目。「十五で姐やは嫁にゆき お里のたよりも絶えはてた」という3番の歌詞の中の「お里のたより」については諸説がある。1)「お里」は、姐さん、つまり子守り娘の実家(生家)のこと。また 2)「たより」は、現代では手紙かハガキ、場合によっては電話のこと、と受け取られがちだが、歌詞に描かれた時代(明治)を考えると、娘の親から嫁ぎ先でのあれこれの消息を人づてに聞いていた音沙汰のこと、とも解釈できる。

    上述の説がもっとも常識的と思われるが、それも「お里」は何処(どこ)を指すか、によってバリエーションが出てくる。

    手っ取り早く『日本国語大辞典』第2版(小学館)で調べたところによると、「里」の主な語義は 1)人家のある所 2)妻・養子・奉公人などの実家 3)自分の住んでいる所、また、住んでいたことのある土地、に大別される。冒頭の解釈は、辞典の定義で言えば、2)の「妻」か「奉公人(子守り娘)」かにあたる。『新明解国語辞典』第6版(三省堂)では、「御里」の見出しをたて「嫁の実家」と端的に言い切っている《注》。    
    
    また、3)と2)を融合した解釈もあり得る。子守り娘に背負われて育った母親代わりの「姐や」自身の嫁ぎ先での出来事、たとえば自分に女の赤ちゃんが生まれたこと、それを実家(生家)の母親が喜んでくれたこと、だから坊ちゃん(三木露風)には妹ができたのよ、といったような類のエピソードを指すには融合説が好都合だ。

    あるいは又、「お里」は露風自身が生まれ育った所、言い換えれば露風の実家という穿(うが)った見方もできる。前号までのブログで書いたように、露風は、幼児の時に両親が離婚し、祖父のもと預けられている。16歳の時に故郷の兵庫県龍野から岡山県備前の中学校に転校し、寮に入っているので、故郷の情報はおそらく「姐や」からの知らせが主だったに違いない。しかし、それも、年月が経って「姐や」が母親として、主婦として忙しくなると、昔の奉公先の坊ちゃんにまで近況を知らせる余裕がなくなり、次第に疎遠になってさびしい思いがする、という心境を詩に託したのかもしれない。

《注》 「お里が知れる」の熟語の場合はかな意味合いが異なる。『新明解国語辞典』には「ちょとした言行により、その人の育ちや経歴などが分かる(見かけによらず好ましくない家庭環境で育ったことが分かる場合に用いられる)」の例文が添えらている。