続「赤とんぼ」。歌詞の謎

(第249号、通巻269号)

    「赤とんぼ」を子どもの頃、口ずさんでいて分からなかったのは1番の歌詞の「おわれてみたのは」の「おわれて」だった、という人が少なくない。漢字で「負われて」とあれば、誤解は避けられるが、耳から聴いただけでは「追われて」とも受け取られるからだ。いったい何に(or誰に)追われるのか、という疑問だ。もちろん、ここは「負われて」つまり「背負われて」の意。作詞者の三木露風《注1》は幼い頃、子守娘におぶわれて赤とんぼを見た、のである。子守娘とは、3番の歌詞に出てくる「姐や」を指す。

    この「姐や」を「姉や」と勘違いし、露風の姉のことだと解釈している人もいる。文春文庫の高島俊男著『お言葉ですが…広辞苑の神話』に、ある雑誌を見ていたら〈現在では15歳で嫁に行くなどとは考えられないし、少子化で15歳の長姉が(歳の)離れた何番目かの弟を背負って子守りすることもなくなった〉とあったことに「意表をつかれた」という体験談を書いている。それに続けて、「筆者は昭和37年生まれの高校教師とある」、「このかたは『ねえや』を姉と解し(中略)そのまま(雑誌に)掲載されているところを見ると、編集者もそう考えているのであろう』と驚いている。

    また、「中野康明の雑学ペ−ジ」というウェブサイト《注2》には、こんな体験談が紹介されていた。アメリカ在住のある日本人が「ニューヨークの日本人学校で調べたところ、中学生、高校生の全員及び教員までもが『姐や』を『姉』と解釈し、生徒たちの母親も10人中9人が『姉』と思っていた」というのだ。

    私にとってもっとも意外だったのは――「十五で姐やは嫁にゆき お里のたよりも 絶えはてた」の歌詞で「十五」とあるのを、「露風が15歳の時に姐やが嫁に行った」とする解釈だ。女性が15歳で結婚するのは早すぎる、という思い込みがあるのかもそれないが、素直にこの歌詞をみれば、そんな風には読めないはずだ。ちなみに、『スーパー・アンカー英和辞典』の編集主幹で日本語にも詳しい山岸勝榮氏はこの3番の歌詞を次のように英訳している。
      Just fifteen, dear Nanny traveled far away, became a bride
            Sinse then not one word comes
               From my sister dear

    当然のことながら姐やが嫁に行ったのは15歳という解釈だ。当の三木露風も『赤とんぼの思ひで』の中で「姐やとあるのは、子守り娘のことである。私の子守り娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである」と述べている。謎めいているのは、「お里」である。このお里の解釈については別の機会に取り上げよう。

《注1》 本名は三木操。明治22年兵庫県龍野の生まれ。5歳のころ、両親が離別し、祖父のもとに預けられた。そこで雇われていたのが「姐や」だ。
《注2》「中野康明の雑学ペ−ジ」のURLはhttp://www001.upp.sonet.ne.jp/yasuaki/misc/cult/cult48.htm