「知ってか知らずでか」

第193号、通巻213号)
    愛用している英和辞書が2冊ある。学習研究社の『スーパーアンカー英和辞典』と小学館の『プログレッシブ英和中辞典』である。スーパーアンカーの編集主幹を務める山岸勝榮氏は英語学、言語文化学が専門。日本語の語感もするどい。同氏が自分のホームページ「山岸教授の日英語サロン」《注》で、“知ってか知らずでか”を“知ってか知らずか”と書く人が多くなってきている、と慨嘆している一文を読んだ。それに触発され「知ってか知らずでか」という慣用句についてにわか勉強を始めた。
    結論的に言ってしまえば、「知ってか知らずでか」が伝統的な本来の用法だったと思われる。それが、いつのころからなのか、後ろ3文字の一部が省略されるようになってきた。その延長で広まった新語法の中で勢力をもったのが「知ってか知らずか」だ。
    今や新聞でも使い、テレビ、ラジオのアナウンサーも口にしているが、山岸氏に言わせると「不自然な言い方」であり、日本語の用法としては間違っている。
    もう1冊の愛用辞書、プログレッシブの編集主幹・国広哲弥氏は言語学の専門家で、英語の辞書のほかに『理想の国語辞典』『日本語の多義語動詞』など国語関係の著作も多い。その中に講談社現代新書『新編[日本語誤用・慣用小辞典]』がある。期せずして「知ってか知らずか」の語句をテーマに取り上げ、誤用だとしているのである。
    誤用の文例として二つ挙げられている。一つは、ある全国紙の1面下段のコラムで使われていた「教育ママが大学の入学式までついて行き、あれこれ面倒をみることを知ってか知らずか、報告書は大学になると、とたんに点が辛くなる」という記事の一節。
    もう一つの文例は、著名な解剖学者のエッセイから引用したもので、「しかし、本来今西氏が闘っていた対象は、進化論を論ずるにあたって、ダーウィンないしその後の西洋人が知ってか知らずか与えてしまった〈進化論〉という形式であった」という一文だ。
    国広氏は上記の例文を示した後、「この句は『知ってか知らでか』の形で用いるのが正しい」と断定し、次のように解説している。
    「この句の成り立ちが分かるように拡大してみると、『知ってするのか、知らないでするのか』ということになるので、『知らず』より『知らで』の方が理屈に合う形ということになる。(中略)さらにその裏では『思わず知らず』という表現が影響しているのかも知れない」。
    しかし、国広氏の誤用・慣用辞典では、「知ってか知らずでか」についてはなぜかまったく言及していない。ただ、「知ってか知らずか」を誤用とみている点では山岸氏と共通しているのである。(今回のテーマは同じような単語が頻出してまぎらわしくなりがちなので、2回に分け次回に続きを書く予定)。


《注》 「山岸教授の日英語サロン」(http://blog.livedoor.jp/yamakatsuei/)