「乙な味」の「乙」のいわれ

(第188号、通巻208号)
    前号のブログは、最近では珍しいほど大きな反響があった。「普通においしい」を使いこなしているのは40手前ぐらいの世代、と見受けられる。それはともかく、ブログの最後を「乙な味でした」とちょっぴり洒落めかして締めたところ、「乙とはどういう意味か。ひょっとして2番目の味、ということか」との質問が寄せられた。
    なぜ、質問に「2番目」が出てくるのか、当方も始め戸惑ったが、「甲、乙、丙」に思い当たってようやく合点がいった。しかし、「乙な味」は甲に次いで2番手ということではない。第一、「甲の味」なぞという言葉は聞いたことがない。
    「乙な味」という語は、粋でちょっぴり洒落ており、ふつうとはどこか違う。味わいがあって趣き深い。そんな日本的な響きのする言葉だ。乙な人、乙な店、乙なもの、など応用範囲が結構広いが、「このステーキにあの赤ワインの組み合わせ、なかなか乙だね」と欧米風のものに使うのは、個人的にはしっくりこない。
    それも道理。「乙な味」の「乙」は、元をただせば邦楽からきた言葉なのだという。小学館の『日本大百科全書』には、「甲(かん)に対して一段低い、しんみりとした渋みをもつ音や調子をいうが、江戸時代になって、物事の状態、趣(おもむき)、道理といった意味のことばに転化され、さらに副詞、形容動詞的用法が加わり、かなり幅広い意味のことばとして使われだした」とある。江戸時代の言葉を集めた『江戸語の辞典』(講談社学術文庫)にも同様の趣旨の記述が載っている《注1》。
    これらの資料に触発されてネット検索してみた。「甲」「乙」をめぐって実に多くの参考記事があったが、甲論乙駁(ばく)とはまったく逆で、どの論も一点で共通していた。つまり、邦楽では高い音域の音を「甲(かん)」、それより一段低い音を「乙」ということだ《注2》。専門的で詳しいホームページは「Dakra Nan‘ya-nen」の「第4講:邦楽に親しもう」(www.biwa.ne.jp/~toda-m/nanyanen/nanya04.html)だった。その説明を一部借りると、邦楽の管楽器でも倍音(ハーモニックス)を使うが、第2倍音以上の音のことを「甲(かん)」、基音のことを「乙」と呼ぶ。基音に渋みのある独特の雰囲気があるところから「乙だね」という表現も生まれた。
    ただ、「乙な味」、「乙なものだ」、「乙なマネ」などの「乙」は、必ずしももろ手を挙げて絶賛する言葉ではない。若干、斜に構えてはいるが、どこか捨てがたい味がある。ちょいとしゃれていて人をひきつけるものがある、といったニュアンスだ。むろん、ホメ言葉ではあるが、原義にさかのぼると、やはり1番ではなく、2番目ということかもしれない。


《注1》 『江戸語の辞典』では「乙」の意味について「趣、雅致」「味な事、ちょっと変わった趣がある」「妙だ、おかしな」などと説明している。
《注2》 耳にたつ声を「甲高い」というのは、ここからきているものと思われる。