「山茶花」は昔「さんさか」と読んでいた 

(第31号、通巻51号)
    今日8日は早や立秋。不屈の精神力でガンの病苦と闘っている元刑事のK氏《注》から2日前、暑中見舞い状をいただいた。鬼刑事のイメージとはおよそかけ離れた可憐な「月見草」の写真2枚組みのはがき。1枚は白、もう1枚は淡いピンクの花だった。

    月見草というと、黄色い花を思い浮かべがちだ。大の園芸好きのK氏も、知り合いからもらった月見草の苗が育って花咲くまではそう思い込んでいたそうだ。しかし、黄色いのは、月見草ではなく「マツヨイグサ」か「オオマツヨイグサ」だという。花の色はともかく、花の名前は、「月見草」のような、素直な読み方では通じない難しい漢字を充てているものも多い。
    例えば、「百日紅」。私の住む団地の庭には今ちょうど、この木々が赤い花を咲かせていて見頃だ。原産地は中国。次から次へと花を咲かせ、百日にもわたってどの木かに花が咲いているので「百日紅」という名が付けられたとか。日本では、この字を書いて「さるすべり」と呼ぶ。幹がつるつるしているので猿でも滑って登れまい、という発想からだろう。囲碁愛好家なら、第2線から1線へ大ゲイマで石を滑らせるように置く手を思い浮かべるかもしれない。

    20代、30代で「百日紅」を「さるすべり」と読める人はそう多くはいないに違いない。その点「秋桜(あきざくら)」は、若い世代でも「コスモス」を指す、と分かるはずだ。さだまさしが作詞、作曲し、山口百恵に贈ったヒット曲のタイトルだからだ。もっとも、かく言う私は、恥ずかしながら10年ほど前までは「秋桜」という言葉そのものを知らなかった。「たんぽぽ」を漢字で「蒲公英」と書くというのも最近知った。

    一見難しそうで意外にポピュラーな“花漢字”は、「紫陽花(あじさい)」や「向日葵(ひまわり)」「金木犀(きんもくせい)」「沈丁花(じんちょうげ)」「桔梗(ききょう)」といったところか。「女郎花(おみなえし)」「石楠花(しゃくなげ)」はともかくとして、「雛罌粟(ひなげし)」「薊(あざみ)」となるとお手上げだ。

    読み方が話題になりやすいのは「山茶花(さざんか)」だろう。若い頃に、つい「さんちゃか」とか「さんさか」と読んで年配者に冷やかされた経験の持ち主もいるかもしれないが、実は歴史をさかのぼれば、一概に誤読とは言えない。むしろ、「さんさか」が本来の言い方だった可能性が高いのである。

    『大辞泉』(小学館)によれば、「さざんか」という発音は「さんさか」が音韻変化したもの、といい、大部(たいぶ)の『日本国語大辞典』第2版(小学館)の語誌欄には、「“山茶花”の表記は中世後期に見られるが、当初は“さんざか”と読まれていた」「“さんちゃか”という読みがあった可能性もある」という説まで詳しく紹介されており、さらには「訛形“さざんか”は17世紀から見える語形である」とも記述されている。つまり、「訛り」が正規の読みに昇格したというわけだ。

    言葉は、生きている。絶対不変ではない。時に急に、時に長い年月をかけて変わることもあるのだ。母の発音が「ぱぱ」から「はは」になったように。


《注》 元神奈川県警捜査一課長。肺ガン刑事の長生き奮闘記『負けてたまるか』(二見書房)の著者。