「1分おき」と「1分ごと」

(第2号、通巻22号)
               
  前回のブログ移転第1号では、話題の映画『武士の一分』のタイトルの中の「一分(いちぶん)」の意味に焦点をあてて書いたが、「一分」が、日常もっとも普通に使われるのは、時間を指す「一分(いっぷん)」だろう。そこで今回は、「一分」《注1》を話のマクラに映画の世界から一転、現実の世界に戻って、「〜おき」と「〜ごと(毎)に」について考えてみたい。

  「1分おきに電車が来る」と言えば、意味としては「毎分」と同じ。今10時5分だとすると、次に電車が来るのは10時6分、その次は10時7分ということになる。NTTの時報サービス「117番」で「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴るのは1秒ごと、「ポーン」と鳴るのは1分ごと、だ。それぞれ1秒おき、1分おき、と言い換えることもできる。つまり、「おき」でも「ごと」でも意味は変わらない。

  しかし、「この島に船が来るのは1週間おきだ」という場合はどうだろうか。「毎週来る」と受け取る人は少ないのではあるまいか。たいていは「来るのは2週間に1回」という意味に解釈するに違いない《参考文献》。「2週間毎(ごと)」とも言える。つまり、「ごと」は「おき」より数字が一つ多い。「ごと」をY、「おき」をXとして数式化すると、[Y=X+1]となる。が、「1分おきの電車」の例では、[Y=X]となり、一致しない。

  判断が悩ましいのは、《注2,参考文献》でも取り上げている「1時間おきにサイレンが鳴る」という表現だ。1回目が9時だとすると、次は10時と考える人が多数派だろうが、11時と思う人もいる。つまり、両様の解釈が成り立つ。

  「〜おき」と「〜ごと(毎)に」が問題になるのは、時間についてだけではない。例えば、「この路線は2駅おきにトイレがある」と「2駅ごとにトイレがある」という言い方。解釈次第で時に深刻な事態を招きかねない。

  このあいまいさは、外国人に日本語を教えている先生にとっても難物のようだ。カナダのバンクーバー日本語教師をしている方が『外から見る日本語』と題したホームページ《注3,参考サイト》で、「『〜おきに』と『ごとに』の違いは日本語教師にとっても厄介な問題である。特に『〜おきに』はかなりあいまいな言葉なのであまり教えたくない。我々日本人の間でも意見が分かれてしまうのだから……」とした上で、

「(外国人の)生徒には『秒』や『分』などには『〜おきに』は使わず全て『〜ごとに』を、そして時間的にもっと長い『日』や『月』、『年』などは『〜おきに』を使ってください、と教えている」と現実的な対応を述べている。 

  このような“事情”に配慮してか、英語を実務で使う日本人向けの参考書、『表現のための実践ロイヤル英文法』(綿貫陽、マーク・ピーターセン共著、旺文社)では、「『3時間ごとに』とか『2時間おきに』という日本語の表現は、混乱しやすい」としてわざわざ小項目を立て、
“The Summer Olympic Games are held every four years”(夏のオリンピックは4年ごとに開かれる)の例文を挙げ、「日本語で考えると、『3年おきに』ということになる」と解説し、次のような図を添えている。

   ●    ○    ○    ○    ●    ○    ○    ○    ● 
 2004  2005  2006  2007   2008   2009   2010  2011  2012

  英語の場合はともかく、日本語の「〜おき」と「〜ごと(毎)に」の用法について統一したルールがあるのか。[Y=X]が[Y=X+1]に変わる分岐点はどこか。例外は? 時間的(あるいは距離的)な長さに関係があるか、あるいは「数え年」と「満年齢」にヒントが隠されているのではないか、という気もするが、言葉に人一倍興味はあるものの専門的な知識のない身としては明解な説明ができない。どなたかご教示願えれば、と思う。
 

【注1】ここから後の文では、漢数字ではなく、洋数字(アラビア数字)で表記。

【注2,参考文献】『つかいこなせば豊かな日本語』(NHK放送文化研究所日本語プロジェクト著、NHK出版)

【注3,参考サイト】『−バンクーバー新報投稿エッセイより−』 (http://www.yano.bc.ca/vansin67po.htm)