「大きい顔」と「大きな顔」の違い

(第306号、通巻326号)

     前号の11月28日付けの「違くない、好きくない」は、当ブログ開設以来最大の反響があった。コメントも、これまでにないほど多数寄せられた。その中の一つに「“大きい”と“大きな”は、元々は別の単語だったのか」という質問があった。

    いささか虚を突かれた思いで調べてみた。結論としては、同じ単語から生まれたものだ、と分かった。『日本国語大辞典 第2版』(小学館)によれば、「大きい」は古語の形容動詞「おおきなり」が室町時代以後に形容詞化して生まれた。一方、「大きな」は、「おおきなり」の連体形「大きなる」が連体詞の形で残ったものだという《注1》。

    つまり、「大きい」は形容詞だから語尾を「く」と変化させて「大きくない」と否定形にできるが、「大きな」は形容詞でも形容動詞でもなく、連体詞《注2》なので語尾変化せず、ただ名詞(体言)を修飾するだけだ。

    しかし、名詞を修飾するに際しては、「大きい」も「大きな」もほとんど意味に差はない。大きい木と大きな木との違いを説明せよ、と言われても往生する。ただし、修飾される名詞によっては微妙なニュアンスの違いが生じる。例えば――
  ・クラスで一番大きい子:身長や体重などの数値で比べると体格が最大の子
  ・クラスで一番大きな子:数値で比較するのでなく、外見の印象で最大の子
  あるいは又――
  ・大きいりんご:他のりんごと比べてサイズの数値が大きなりんご
  ・大きなりんご:具体的な数値はともかく見た目に大きく感じられるりんご

    こうしてみると、「大きい」は、客観的で正確に説明する場合などに用いられるのに対して「大きな」は、主観的で心理的な思いを表す傾向がある。「大きな顔をする」はその一例だ。これを「大きい顔をする」とするのではこなれた日本語と言えまい。個人の語感にもよるが、「大きい顔」だと物理的に?面積が大きい顔の意になり、「大きな顔」だと俗な表現で言えば「デカイ顔をする」という意味になる。日本語の微妙なところだ《注4》。

   
《注1》 形容動詞という品詞は、「静かだ」「晴れやかだ」のように言い切る時の形が「〜だ」で終わる。橋本進吉の学説を元にした、いわゆる学校文法の概念であり、通説とされているが、時枝誠記山田孝雄らの国文法学者の学説では認めていない(ちくま学芸文庫小池清治著『現代日本語文法入門』、研究社刊、加藤重広著『日本語文法入門ハンドブック』、『岩波国語辞典』などによる)。 

《注2》 『岩波国語辞典 第7版』では、「文語形容詞『多し』の連体形から出た『おほきなり』の『おほき』に形容詞語尾が付いたもの」と説明されている。このような関係にある言葉は、他に「小さな」と「細かな」がある。

《注3》 『三省堂国語辞典 第6版』は、「形容動詞とする説もある」と語義の中でわざわざ注をつけている。

《注4》 海外からの留学生を相手にする「日本語教育」の授業の際、「大きい」と「大きな」の違いについてよく質問を受けるが、分かりやすく説明するのに苦労するという日本語教師の悩みを、あるウェブサイトで目にしたことがある。