「違くない」「好きくない」。動詞の形容詞化の兆し

(第305号、通巻325号)

    「ちがくない」、「すきくない」。こんな妙な言い方を耳にするようになったのはいつごろからだろうか。若者たちの間ではすでに20年ほど前から使われていた、と言う人もいる。一時的なハヤリとは言えない。日本語文法の変化の兆候の一つだろう。「違う」を否定するなら「違くない」ではなく、「違わない」とすべきであり、「好き」の否定なら「好きくない」ではなく、「好きでない(好きじゃない)」とするのが普通だが、言葉の変化は、前回のブログになぞらえて言えば「すごい速い」と感じる。

    「違う」はれっきとした動詞だ。語幹は「ちが」。5段活用なので、否定の助動詞「ない」に接続するときは未然形の「わ」の活用語尾を付けて「違わない」となる。『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)には、「違う」の見出しの語義の後にわざわざ[注意]を設け、以下のように述べている。
 [「違く」の形で形容詞のように使うのは誤り。「×実力はそんなに違くない→○そんなに違わない」、「×AとBは方針が違く→○違っていて」]

    言葉の変化には寛大な『明鏡国語辞典』もまだ追認していない、というより、文例を二つも挙げて正しい用法に導こうという強い姿勢が感じられる。

    「好きくない」も非文法的言い方だが、「違くない」とは少々事情が異なる。「好きくない」の語幹にあたる「好き」は、動詞そのものではないからだ。「好き」は形容動詞である。外国人に日本語を教える「日本語教育」の世界では、“ナ形容詞”と呼ぶようだ《注》。が、その元をたどれば、「好く」という動詞になる。いずれにしろ否定形にするなら、「好きでない」、話し言葉にすれば「好きじゃない」と言うべきであって、「好きくない」という言い方には違和感を覚える。言葉の習得中の幼児が言うのであれば自然だが、あどけない時期を“卒業した”年齢の者が使えば、あえて幼さをよそおっているのか、言葉に鈍感か、それとも単に無知なのか、判断に迷う。

    言葉は常に生まれ消えていくものと頭では思っていても、新語や語義の拡大、用法の変化と違って、日本語の構造の基礎の文法の変化にまではなかなかついていけない。


《注》 日本語教育では、語尾が「〜い」「〜しい」で終わる修飾語を“イ形容詞”と呼んでいるようだ。これに対し“ナ形容詞”は「きれいな+名詞」「静かな+名詞」のように活用語尾が「〜な」となる。物事の状態や性質、人間の感覚、好みなどを表す。

【お断り】 今回のテーマについては、考察がまだまだ不十分なので、後で手直ししたい。