クラス会で聞くのが楽しみ 北海道弁

(第261号、通巻281号)
 
    正月の年賀状を整理していたら「今年の夏は釧路で会おう」とか「クラス会をお忘れなく」とかいった文面の賀状が何枚かあった。私の出た高校のクラス会は、オリンピックの年の8月に開かれることになっているのだ。懐かしの北海道弁を久しぶりに聞ける。4年前のクラス会の会場は札幌だったが、その前後に当ブログで北海道弁を3回にわたって扱ったところ、「言語郎」としては異例の大きな反響があった。道産子は故郷の言葉に人一倍愛着が強いのかもしれない。その1回目(2008年9月10日付け)を一部手直しして以下に再録する。

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    4年に1回開かれる高校時代のクラス会に参加するため札幌に行った折、生の北海道弁を久しぶりにたっぷり聞いてきた。香港から駆けつけたある級友は、「もう十数年も暮らしている香港では自宅を一歩出たら英語か中国語の生活なので、日本語を思い切り話せるのがうれしい」としゃべりまくり、二次会ではカラオケを歌いまくっていた。が、歌はともかく酒がはいっての会話は、彼に限らずみんな少々北海道訛りの「標準日本語」だった。
    
    道産子は「しばれる」、「あずましくない」などいかにも方言らしい響きを持つ言葉以外はほとんど標準語を使っている、と思いこみがちなのだ。私自身も長い間そうだった。しかし、実はイントネーションはもちろん、語尾も独特で、単語自体も共通語とは微妙なズレや時に大きな違いがある。
    
    「(ゴミを)投げる=捨てる」、「(手袋を)はく=はめる」、「(歩き過ぎて)こわい=疲れた、体がだるい」。この3語の使い方は、道産子も北海道特有の意味だと気付きにくい代表的な方言だ。これらについては、割と知られているので、今回は別の北海道弁に焦点を当ててみたい。いずれも、共通語にもある言葉なのだが、やはり用法が違うのである。
    
    その一つに「まかす」がある。国語辞書には「任す。したいようにさせる(任せる、が本来の形だが、口語では、まかす、も多く用いられる)」(小学館『現代例解国語辞典』第4版)とあるが、北海道弁では「(液体を)こぼす。ぶちまける」の意になる。
    
    そして「いたましい」は、共通語では「かわいそうで胸を締め付けられるような見るに忍びない気持ち」だが、北海道弁では「もったいない。捨てるのが惜しい」という意味なので、「ビールをまかすのはいたましい」はそんなにビールをこぼすのはもったいない、といったニュアンスになる。「いたましくない」という否定形も用いられる。「惜しくない」の意だ。したがって、太っ腹な人なら「ビールをそのぐらいこぼしたって惜しくないよ」と言ってもおかしくない表現だ。
    
    「まかなう」。これもうっかりする言葉である。標準語ではふつう「賄う」の表記で「なんとかやりくりして間に合わせる。食事を用意して出す」ことを指すが、北海道では「服を着る。身支度する」意でも使われる。単に着る、身につける、というより吹雪の日の外出などの際にがっちり着込む、という意味合いが強い。言葉は、見かけだけでは“まかない”きれないものだ。