「光陰矢の如し」の成句と英文解釈余話

(第158号、通巻178号)
    「少年老いやすく学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」。中学生の頃、剣道をやっていた友人が道場で詩吟も習っていた。いろいろ難しい漢詩をよく吟じているのを聞いたが、今も憶えているのが冒頭の一節だ。当時は意味も十分に分からなかったと思うが、とうに第一線をリタイアした“元少年”としては、とりわけ「老いやすく学成り難し」の言葉に今さらながら悔恨の念を禁じえない。
    成句の後段は、光陰の「光」が日、「陰」は月の意なので、「光陰」で月日や年月を表し、「月日はすぐに過ぎ去るので、わずかの時間でも無駄にすべきではない」という教えだ。同じ単語を使った類似のことわざに「光陰矢の如し」がある。
    ラテン語でこれにあたる成句は “Tempus fuigit”と言うそうだ。これが英訳されて“Time flies”となったが、日本語と同じように“Time flies like an arrow”という表現も見受けられる《注1》。もちろん、英文の意味は「時は矢のように飛び去る」。英語を習いたての中学生でも理解できるほど簡単な文章で、ほかに解釈のしようもないほど明瞭なはずだ。
    ところが、言葉というのは、ある時は単純でもあり、またある時は複雑でもある。1+1がいつも2になるとは限らないのだ。3になることも、5になることある。そこから意外な面白さが生まれる。世界的な言語学者スティーブン・ピンカーが自著「言語を生みだす本能」(NHKブックス)の中で上述の成句を題材に意表をつくような興味深い例を紹介している。
    ピンカーは言う。「“Time flies like an arrow”は二義性(まぎれ)のない文の代表のようなものだが、1960年代にハーバード大学で開発された、目の鋭いコンピューターは、この文に対応する完璧な、つまり文法的には間違いのない解釈を5通りも発見して研究者たちを茫然とさせた」。その5通りの解釈を日本語で示すと――
 1.「時間は矢が進むのと同じように速く進む(文が意図する意味)」 2.「矢の速度を測定するのと同じやり方でハエ(flies)の速度を測定(time)せよ」 3.「矢がハエの速度を測定するのと同じやり方でハエの速度を測定せよ」 4.「矢に似ているハエの速度を測定せよ」 5.「“時蠅”(タイムフライ)は矢を好む」――である。
    上述の解釈は、個々の単語にも文の構造にも、それぞれ二義性があるゆえに生まれた。timeは、一般的には名詞として「時」を表すのに使われるが、動詞としての機能もある。「測る」という意味だ。文頭にくれば、当然、命令形になる。flyには、「飛ぶ」という動詞のほかに「ハエ」という名詞としての意味も持ち、同様にlikeは「〜のように」だけでなく「好む」という意味もある。これらを組み合わせると、二義性どころか“五義”にもなるわけだ。
    本題の「光陰矢の如し」と並んでよく引用される漢詩に「時に及んで当(まさ)に勉励すべし 歳月人を待たず」という陶淵明の名句がある。これを「少年老いやすく学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」と同義に解釈し、「寸暇を惜しんで勉強すべきだ」と教訓的に用いられてきた《注2》。
    ところが、実はここでいう「勉励」とは、「勉学に励め」という意味ではない。この詩の文脈では「行楽に精出す」ことを意味している《注3》。「時間が限られているからこそ、若いうちに行楽につとめ励んでおおいに楽しもう」というのが文意だという。とすれば、「勉励」は中国語と日本語の間の「二義性」と言えるかも知れない。    


《注1》 “Time flies”の後に “like an arrow”が付くか付かないかをめぐって、英語の専門家の間で昔から論議がある。『ランダムハウス英和大辞典』 は「通例,ことわざの定形としては Time flies like an arrow. とは言わない」と注記しているが、『スーパーアンカー英和辞典』は「付けないのが英語的であるが、最近ではこれを付けていう人も少なくない」と説明している。なにより、言語学の大家・ピンカーが自著で「付けた例文」を題材にしているのだから、私としては「付けて」いくほかない。
《注2》 角川ソフィア文庫陶淵明』(釜谷武志著)の本文中の説明。
《注3》 岩波文庫『中国名詩選〈中〉』(松枝茂夫編)の本文の訳注。