名訳と迷訳、その“様々なる意匠”

(第24号、通巻44号)
    一見簡単な短い英文なのに、まったく意味をつかめないことがしばしばある。誤訳以前の話だ。5月下旬に出版されたばかりの『英文の読み方』(行方昭夫著、岩波新書)に、かつて私がお手上げしたのと同じ英文が偶然取り上げられている。その英文とは“I couldn’t agree more”。わずか4語、単語も易しい。しかし、訳すとなると……

    著者の行方氏の友人で英語にも達者なビジネスマンが、インターネットで海外の通販を申し込もうとしたところ、契約文の最後の方にこの文が現れた。「もっと賛成できなかった」では、意味をなさない。申し込み手続きもそこで行き詰まってしまったというエピソードだ。正しくは「まったく賛成だ」という意味である《注1》。

    外国語を日本語に移し変えるのは、1語1語対応の場合でさえ、語法的な知識がないとスンナリとはいかない。まして文芸的な文章になれば事は単純ではない、と目覚めるきっかけになったのは、高校時代に読んだ夏目漱石の『三四郎』の一節だ。“Pity’s akin to love”。直訳すれば「憐憫(れんびん)は恋に似ている」を、漱石は小説の登場人物に「可愛そうだた惚れたって事よ」と都々逸(どどいつ)風に訳させたのだ。

    “This is a pen”を「これは一本のペンです」としたり、関係代名詞をいちいち後ろからひっくり返して「〜するところの」としたりするのは、単なる逐語訳。翻訳というのは、こうした受験英語的な「英文和訳」と根本的に違う面があることを思い知らされた。

    名訳というとよく引き合いに出されるのが明治時代の文豪・二葉亭四迷の『片恋』(ツルゲーネフ原作)。ヒロインのアーシャが片思いの相手の男に震えるような、かぼそい声で愛を告白する場面だ。亭四迷は、英語の“I love you”にあたるロシア語をどう訳すべきか呻吟した。女性の方から恋心をストレートに伝えるなんて、当時の日本では慎みのないことと考えられていたからだ。

    愛という言葉を使わずに愛を伝える。亭四迷が「二日二晩」考え抜いた末に訳出した日本語は「(わたしはもう)死んでも可(い)いわ……」だった《注2》。

    もちろん、翻訳にはこれが唯一絶対正しいというものはない。1929年に『様々なる意匠』で文壇に鮮烈デビューした評論家の小林秀雄は、ランボウの詩集などフランス文学の翻訳でも知られる。小林訳は誤訳だらけだ、との批判もあったが、その批判者の間でさえ「小林の訳文は個性的でインパクトがあり、しかも愛情がこもっている」と今でも評判はすこぶる高い。

    視点を変えて、今度は、外国語→日本語ではなく日本語→外国語の翻訳を、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」の英語訳を題材にみてみよう。この有名な俳句の英訳は100以上あるといわれる《注3》。「池」の訳を、pond,lake,mere,depthなどいくつもある類義語の中からどの単語にするか、「古」をどう表現するか、冠詞は?「蛙」は単数かそれとも複数(複数形は2例のみ、との説も)扱いにすべきなのか……。語学力はもちろんのこと、訳者の解釈と感性によって翻訳には様々なバリエーションがある。わずか17文字に込められた日本語の奥深さである。
   The old mere! A frog jumping in The sound of water.(正岡子規
   An old pond A frog jumps in A splash of water.(新渡戸稲造
   The old pond, ah! A frog jumps in: The water's sound.(鈴木大拙
   Old pond Frogs jumped in Sound of water(ラフカディオ・ハーン
   The ancient pond A frog leaps in The sound of the water.(ドナルド・キーン


《注1》 後で考えてみたら、ここは仮定法過去で「(賛成しようにも)もうこれ以上賛成できないくらいだ」というのが元々の意味なのだ、と気がついた。逆に、“more” を“less”にすると、「まったく不賛成だ」と正反対の意味になる。“I couldn’t care less”(「全然気にしない」つまり「私はいっこうに平気」)も同様の表現だ=この項『なるほど納得 英語の常識』(中村徳次著、朝日新聞社)を参照。

《注2》 『二葉亭四迷全集』第1巻(岩波書店)所収の『片戀』。ブログで()の中に「わたしはもう」とあるのはブログ筆者が書き加えた文言、「可」の後の()内の「い」は、原文ではルビ。
    後年、この作品を改訳したロシア文学者の米川正夫は『片恋・ファウスト』(新潮文庫)のあとがきで要旨次のように述べている。
      [『片恋』は原名を『アーシャ』という。なぜ私がこの改題をあえてしたかと云うと、今から55年前、二葉亭四迷が『片恋』の題のもとに、当時としては驚嘆すべき名訳を発表したからである。私は、その訳業に心酔し、さながらライン・ワインの如き芳醇な香りを覚えた。少年だった私は、とくに気に入った文章をそらで口ずさんだ程だ。その思い出が貴いために、敢えて原名を避けて、この題を冠したゆえんである。]
    ちなみに、例の個所は、米川訳では「(私は)あなたのものよ……」とされている。

《注3》 メルマガ「読んで得する翻訳情報マガジン」(http://www.tranradar.net/mail_mag/mail090.html)などwebも参照。