“free”はいつも「自由」とは限らない

(第23号、通巻43号)
    “free”をカタカナ書きにすれば「フリー」。「自由」という意味で日本語化している易しい英単語の一つだが、そこに落とし穴がある。

    『日本語ぽこりぽこり』(アーサー・ビナード著、小学館)という風変わりな題のエッセイ集に、リチャード・ブローティガンの詩の日本語訳の誤解についてユーモアまじりながら痛烈な皮肉が載っている。「安アパートのトイレにぶら下がる裸電球をうたった、一見たわいない6行ぽっちの作品だ」が、問題は書き出しの次の2行だ。

        I have a 75 watt, glare free, long life
        Harmony House light bulb in my toilet.
     この部分を、ブローティガンに文学的な影響を受けたとされる高名なある作家の訳では、
      「さて
      便所についているのは
      75ワット、眩しく輝き、長持ちするハーモニイハウス社の電球である」
としているが、“glare free”を「眩しく輝き」と訳したのがとんだ間違いだった。

      「辞書を引く手間を惜しむな」と翻訳家の深町眞理子は『翻訳者の仕事部屋』(飛鳥新社)という自著の中で自戒を込めて語っている。誰もが知っている平易な言葉こそが要注意だ、とも。

      英語の“free”には、「自由」のほかに「束縛を受けない」「無料」の意味もあるが、名詞のあとにつくと「〜無し」「〜抜き」「〜が含まれていない」を示す。
     “tax-free”(免税)、“sugar-free”(無糖)あるいは、最近よく耳にするようになった“barrier-free”(バリア・フリー=障害物無し)などがそうだ。実は“glare free”も、“glare”(まぶしさ、ぎらぎらする光)の「無い」、つまり「つや消し」の電球を指しているのだ。

    ミシガン州生まれの米国人で日本語での詩作を発表しているビナードは『日本語ぽこりぽこり』の中で、「製造元のハーモニー・ハウス社は、眩しくないように加工して、そのソフトな光をセールスポイントにしている。いや、ホントのことをいうと、“75 watt, glare free, long life / Harmony House”のくだりは全部、トイレの裸電球に印刷されてあった言葉そっくりそのままだ。ブローティガンはそれを引っぱってきて、詩に使った」と指摘する。

    そう言われてみると確かに、トイレでは、ぎらつく電球よりやわらかな光の電球を使っているのが普通だ。

    世に誤訳の種は尽きまじ、という。芸術的な翻訳として有名な森鷗外の『即興詩人』(アンデルセン原作)にしても、1ページに11個所の誤訳がある、と言われる。評論家にして英文学者の翻訳の名手・中野好夫でさえ「一冊に百以上の誤訳をしている」と自ら述懐しているほどだ。翻訳は、単に語句だけの問題ではない。語法はもちろんのこと、社会常識や生活習慣、文化、歴史あるいは気候風土などに広く関わっているのである。


(次回も引き続いて翻訳をめぐる話題)

《文献》『日本語ぽこりぽこり』を主体に、『誤訳天国』(ロビン・ギル著、白水社)、『ロングマン英和辞典』(桐原書店)など各種英和辞典を参考にした。webの「誤訳の思想」(www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/goyaku.html )も参照。