「今こそ別れめ」は「別れ目」ではない  

(第9号、通巻29号)
    
    弥生3月は旅立ちの季節。私の小中学生時代は、卒業式のたびに「蛍の光」と「仰げば尊し」を歌った、いや歌わさせられたものだった。文化庁が募集していた「親子で歌いつごう 日本の歌百選」がこの1月に発表されたが、懐かしの「仰げば尊し」がなんと1番目に挙げられていた。名曲には違いないが、「まさか」と思った。ニュースを見た瞬間、1位だと勘違いしたからだ。実際は単にアイウエオ順だった。
    
    今や、卒業式の音楽も多様化し、必ずしも歌うとは限らなくなったというが、つい先頃までは卒業式に欠かせぬ「定番」。ほとんどの人は歌詞もほぼ暗記しているだろうが、改めて記すと――
      仰げば 尊し 我が師の恩
      教えの庭にも はや 幾年(いくとせ)
      思えば いと疾(と)し この年月
      今こそ 別れめ いざさらば
   
    まず、3行目の「いととし」。始めの「いと」は、「いとをかし」などという時の副詞で「非常に」とか「たいへん」という意味。うしろの「とし」は漢字(疾)から見当がつくように「速(早)い」という意味の形容詞だ〈注〉。つまり、「いととし」で「とても早い」の意になる。しかし、子どもの頃に耳から覚えたままだと、「思い出すと、いとおしい年月だった」と解釈する人もいる。
   
      一見、問題ないようで実は問題なのが最後の一節の中の「別れめ」である。大方の人は「別れ目」と思いこんでいるのではあるまいか。現に、言葉についての著作が多い山口仲美・埼玉大学教授ですら『日本語の歴史』(岩波新書)の中で次のように“告白”している。
     白状すると、私は、小学生の時、「め」は「目」で、「つなぎ目」「境目」などとおなじ意味の「目」だと思って(一部略)歌っていました。
   
    では、「め」は何を指すのか。正解は、意志・決意を表す古語の助動詞「む」の已然形。つまり「こそ」と呼応した係り結びで「さあ、今こそ別れよう」という意味になる。山口先生も、先に引用した文章の続きで、 歌にしては、なんだかしっくりしない言葉が入っているとは思ったのですが、「こそ―已然形」の係り結びだと気づいたのは、ずっと後のことです。
  
     まして私ごとき浅学非才の者が気づいたのは、「ずっとずっと後のこと」である。次回は続編として「蛍の光」も取り上げよう。


〈注〉「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」。武田信玄の軍旗で有名な「風林火山」は、孫子兵法書が原典(岩波文庫孫子』、小学館大辞泉』、自由国民社『故事名言・由来・ことわざ総解説』など参照)。