「今こそ別れめ」は「別れ目」ではない!

(第268号、通巻288号)
    
    弥生3月は旅立ちの季節。私の小中学生時代は、卒業式のたびに「蛍の光」と「仰げば尊し」《注1》を歌った、いや歌わせられたものだった。今や、卒業式の音楽も多様化し、昔ながらの「定番」を歌うのは珍しくなったというが、先日のテレビニュースで東日本大震災の被災地の高校や看護学校などの卒業式の様子を見ると、家族を亡くし、友を失った卒業生が涙を流しながら「仰げば尊し」を歌っているシーンがあった。年配の人は歌詞もほぼ暗記しているだろうが、その内容は意外に奥が深く、難解である。      

      仰げば 尊し 我が師の恩
      教えの庭にも はや 幾年(いくとせ)
      思えば いと疾(と)し この年月
      今こそ 別れめ いざさらば
   
    まず、2行目後段。「早く行ってしまう」「早く行け」というわけではない。続く3行目の「いととし」。始めの「いと」は、「いとをかし」などの表現に使われる副詞で「非常に」とか「たいへん」とかという意味。うしろの「とし」は漢字(疾)から見当がつくように「速(早)い」という意味の形容詞だ《注2》。つまり、「いととし」で「とても早い」の意になる。しかし、子どもの頃に耳から覚えたままだと、「愛(いと)しい」と聞こえ、「思い出すと、いとしい年月だった」と解釈する人もいる。
   
    一見、問題ないようで実は問題なのが最後の一節の中の「別れめ」である。大方の人は「別れ目」と思い込んでいるのではあるまいか。現に、言葉についての著作が多い山口仲美・明治大学教授ですら埼玉大学教授時代に執筆した『日本語の歴史』(岩波新書)の中で次のように“告白”している。
    
 [白状すると、私は、小学生の時、「め」は「目」で、「つなぎ目」「境目」などとおなじ意味の「目」だと思って(一部略)歌っていました]
   
    では、「め」は何を指すのか。正解は、意志・決意を表す古語の助動詞「む」の已然形。普通の肯定文だと述語は終止形で終わるが、内容を強調しようとする時には、前に係助詞を置き、述語を連体形または已然形にするのが文語の表現法とされる。つまり、ここでの「め」は「今こそ」と呼応した係り結びで「さあ、今こそ別れよう」という意味になる。山口先生も、先に引用した文章を以下のように続けている。 

 [歌にしては、なんだかしっくりしない言葉が入っているとは思ったのですが、「こそ―已然形」の係り結びだと気づいたのは、ずっと後のことです]
  
    まして私ごとき浅学非才の者が気づいたのは、「ずっとずっと後のこと」である。次回は続編として「蛍の光」も取り上げよう。


《注1》 日本のオリジナルな歌と思いこんでいる人が多いにちがいないが、音楽教育や唱歌の研究者の間では、長年、作者不詳の謎の曲とされていた。ところが、2011年(平成23年)1月、英語学者で英米民謡に詳しい桜井雅人一橋大学名誉教授が原曲と見られる歌“SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL”を発見した、とのニュースが伝えられた。それによると、1871年に米国で出版された“THE SONG ECHO”という本に収録されており、4部合唱で旋律もまったく同じという。原曲の歌詞には、「師の恩」とか、「仰げば尊し」の2番目に出てくる「身を立て、名をあげ」という意味の語句はなく、卒業で学友と別れるのを惜しむ内容になっている。

《注2》 「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」。武田信玄の軍旗で有名な「風林火山」は、孫子兵法書が原典(岩波文庫孫子』、小学館大辞泉』、自由国民社『故事名言・由来・ことわざ総解説』など参照)。

【お断り】 今号は、ちょうど5年前の2007年3月7日号に書いたブログに新しい知見を加え、《注》も含めて大幅に書き換えたものです。