「足も、足下も、すくわれないでね。」

(第267号、通巻287号)
    
    一知半解の身で、辞書の語釈の当否を軽々に断じるものではない。前週の第266号に対する愛読者の方々のコメントや感想を読んで、そう思った。今週号の標題は、読者のコメントの一つに紹介されていた『三省堂国語辞典』の編集委員飯間浩明氏のホームページから引用させていただいたものだ。

    飯間氏のホームページによると、同辞典の第6版の編集段階で「足をすくわれる」と「足下をすくわれる」とのどちらの言い方が適当か、議論になった、と議論の過程をかいつまんで紹介した後、「足をすくわれる」の方が本来の言い方だとする意見もあるが、「足を〜」も「足下を〜」も昭和に入ってからのもので、用例の資料では「足を〜」がせいぜい20年ほど古いに過ぎないという。

    その上で飯間氏は、「理屈の点からも、言い回しの新古の点からも、『足下〜』を不採用にする理由はない」と述べ、続けて「日本語の用例収集に一身を捧げた見坊豪紀自身が、著作の中で『足下を〜』を使った」文を強固な例証として挙げている。見坊豪紀氏とは、『三省堂国語辞典』の初代編集主幹。いわば辞書の神様のような人である。

    見坊氏の例文は『辞書と日本語』(玉川選書)の一節にある。「辞書にないことばとは、ひじょうに変わったことば、とばかり思っていた」という文の後に「それで、『司会』という日本語がないという石黒氏の指摘は、ほんとうにもとをすくわれたような驚きを私に与えた」と述べている個所だ。

    たしかに「足もと〜」を使っているが、この場合はしかし「ひきょうなやり方ですきをつかれる。弱みにつけこまれて失敗・失脚させられる」という意味ではなく、想定もしていなかった意見を言われて目を開かされた、とい驚きの度合いを表した形容詞の意とも受け取れる。

    「足下」とは、『三省堂国語辞典』によれば、「足の、先のほう」だから、そこをすくわれたたらビックリすることは確かだ。1+2=3のようにいかないのが言葉の難しさであり、おもしろさだ。足下も確かめず、つい言葉の森の中に入り込んでしまうのである。


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 しかも、今回の大台記録達成については、下段のコメント欄に感想を送ってくださった「久御山」さんが、わざわざ「最後になりましたが、アクセス数80万達成、おめでとうございます」とお祝いの言葉を添えてくださいました。「想定外」のうれしい一文でした。思わず、家人をパソコンのそばに呼び寄せて画面を見せ、喜びを分かちあいました。
 ブログの細部まで目を通していただき、ありがとうございます。これからも、駄文を書き連ねていきますが、引き続いてのご愛読、よろしくお願いいたします。
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