『蛍の光』の「かたみ」は「形見」か
(第269号、通巻289号)
悲恋映画の傑作の一つ「哀愁」《注1》。主人公役のロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーの2人が初めてのデートでダンスをした時の曲は、映画の中では「別れのワルツ」といった。ロウソクが1本、また1本と消されて暗くなっていくクラブの中で踊るカップルの姿は、伴奏の曲と相まって切なく甘美で印象的だった。この曲は、映画の後半のシーンでも流れたが、よく聞けば「蛍の光」と同じ旋律だ《注2》。
かつて卒業式で「仰げば尊し」とセットで歌われたあの「蛍の光」である。こちらも、歌詞を読み解くのは難しい。「仰げば尊し」と同様に係り結びがあるだけではない。掛詞(かけことば)も隠されているからだ。うっかり見過ごす、いや歌い過ごしてしまう。よく歌われる1番と2番の歌詞を一応見ておいてほしい。
1番
ほたるのひかり、まどのゆき、
書(ふみ)よむつき日、かさねつゝ、
いつしか年も、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。
2番
とまるもゆくも、かぎりとて、
かたみにおもふ、ちよろずの、
こころのはしを、ひとことに、
さきくとばかり、うたふなり。
まず、1番には掛詞が二つ登場する。一つは「すぎ」。「いつしか年も過ぎ」と「杉の戸」を掛けている。続く「あけて」は、「杉の戸を開けて」と「(夜が)明けて」の意味を掛けていると同時に、「あけてぞ」の「ぞ」が、「ゆく」という連体形でつながる係り結びになっている《注3》、というのだから小学唱歌も歌詞は奥が深い。
2番の歌詞も一筋縄ではいかない。1行目は「(ふるさとに)止(とど)まる者も、(ふるさとから)出てゆく者も(この日)限りで」はまだ分かるにしても、その次の「かたみにおもうふ」の「かたみに」の意味は完全に誤解していた。
「かたみに」は「形見に」ではないのである。『角川必携古語辞典』によれば、「互に」と表記して「たがいに、代わる代わる」の意を表すという。「形見に」《注4》、と頭から信じ込んでなんの疑問も感じていなかった自分を恥じ入るほかない。「ちよろず(千万)」は「数限りない、多くの」の意味だ。
では、「さきく」とはなにか、というと「幸く」と書き、「無事で」「変わらず」の意の副詞。要するに2番の歌詞の大意は、「故郷に残る人も外に出て行く人も、今日限りでお別れということで、互いに思う数限りない心のうちを“無事であれ”というたったひと言に込めて歌うのである」ということになる。
《注1》 戦後まもなく大人気を博した連続ラジオドラマ「君の名は」は、「哀愁」のリメーク版とも言われる。「ウオータールー橋」を「数寄屋橋」に置き換えれば、分かりやすい。
《注2》原曲はスコットランド民謡“Auld Lang Syne(Old Long Ago)”。4拍子の曲だが、「哀愁」の中では「別れのワルツ」とあるように、3拍子にアレンジされている。
《注3》 岩波新書『日本語の歴史』(山口仲美著)など参照。
《注4》 『岩波古語辞典』増補版によると、元々は「片身に」の意で、「一つのことを二人でそれぞれ別にすることが原義」とある。
【お断り】 今号は、前回の続編。5年前のブログの再録ですが、加筆は前文や注など一部にとどめました。