インクとインキ

(第309号、通巻329号)

    年賀状書きと言うと、一昔前までは版画を彫ったり、プリントゴッコで印刷したりしたものが多かったが、昨今はパソコン作成が主流になった観がある。年賀用の官製はがき(郵政公社製)でも普通の用紙とは別にパソコンのプリンターで使うインキ用として「インジェット紙」版が発売されている。

    インキとインク。どう違うのか。例によって辞書で調べてみると、「インキ」の項には「『インク』のやや古い言い方」とあり、用例に「印刷インキ」の一語が載っている。「インク」の項をくくると、「筆記や印刷に使う着色した液体。インキ」と出ている(『明鏡国語辞典 第2版』)。要は同じものを指しているのだ《注1》。

    ただ、印刷業界では「インキ」というのが普通。新聞社でも新聞用紙の印刷に使うのは「インキ」と呼んでいるが、一般の人は「万年筆のインク」とか「パソコンのプリンターのインクが切れた」などと「インク」を用いる。元々は英語のink(一説にはオランダ語のinktとも)からきている。

    同じ英語からとったカタカナ語でも、違う言葉として使われている例も多い。batteryがそうだ。たまたま今、テレビのスポーツニュースを見ていたら大リーグのダルビッシュダルビッシュ有投手が出演中で、女房役の捕手のことが話題にあがっていた。投手と捕手のことをバッテリーという。一方で、電気器具の蓄電池のこともバッテリーと呼ぶ。元は同じ言葉だ。

    野球のストライク。あまりにポピュラー過ぎて改めて説明するとなると難しいが、投手の投げたボールが打者の所定の範囲内を通過することをいう。労働者が賃上げなど労働条件改善の一環として業務を停止することはストライキと称する。英語で言えばどちらもstrikeという同じ単語だ。

    さらに、6人制でボールを打ち合うバレーボール(排球)とテニスのボレーは英語のvolleyから。駆け出し記者時代「(汽車ならぬ)トロッコ記者」と冷やかされたものだが、このトロッコ貨物自動車を意味する英語のtruckと同じだ。他にも、lemonade(→ラムネ、レモネード)」、machine→ミシン、マシン)など枚挙にいとまがない。

    ちなみに、日本で最初の和英辞典『和英林語集成』を編纂したヘボン博士の名前はHepburnと綴る《注2》。映画「ローマの休日」などで知られる女優の名前も同じ綴りだが、こちらはヘップバーンで通っているのはご存じの通りだ。


《注1》 インキとインクについて、『日本国語大辞典第 2版』(小学館)は下記のように詳しく説明している。
(1)インキ(ト)の原語をオランダ語のinkt と考え、江戸中期に渡来して一旦定着した後に、英語を原語とするインクが広まったと考える説と、オランダ語の影響は実際には大きくなく、同じく英語を語源としながら最初はインキが、そして続いて音転形のインクが、ともに定着したと考える二つの説がある。
(2)明治期の用例ではインキの方が遙かに早く出現しており、数も多い。その後も長らくインキが優勢な時期が続いたが、現在はインクの方が優勢。

《注2》 ヘボン式ローマ字の「ヘボン」も同じ人物。