首相が使い分け?「声」と「音」

(第286号、通巻306号)

    ここ最近2、3代続いて首相の国語力が問題になったことがあった。その点、現在の野田首相は、弁舌には定評があり、内容はともかく、言葉遣いでこれまでは大きな間違いはなかった。しかし、先月29日夜、関西電力大飯原発の再稼働反対デモについての“つぶやき”は様相が違った。首相は、官邸から徒歩で公邸に戻る途中、再稼働に抗議するデモ隊のかけ声や鳴り物の音を耳にして傍らの警護官に「大きながしますね」と漏らしたというのだ。

    このつぶやきは翌30日の新聞各紙で報じられた。デモ隊のかけ声を「音」と表現する神経に驚いたが、首相周辺からはとくに訂正や弁明めいた「声」は出されなかったように思う。ところが、今月10日の参院予算委員会で「という表現をどこでどういう形でしたか、わからないんですけれども」と答弁した。覚えていないそうなのだ。その上で「そういう国民のをしっかりうけとめないと」とも語った。

    声と音。語義がダブっている点もあるが、一般的には、声は「人や動物が発声器官から出す音」「意見。考え。『庶民の声』『読者の声』」であり、音は「物の響きや人・鳥獣の声。物体の振動が空気の振動(音波)として伝わって起こす聴覚の内容」を指す《注》。広義でいえば、声も音の範疇に入るが、ふつうは「人間の発する響き」を意味する。

    弁舌の巧みな野田首相が、公式の場でそんな違いを無視して発言することは考えにくい。公式の場ではなく、仕事を終えて“帰宅”途中だったからこそ、つい本音が出てしまったのではなかろうか。あるいは、再稼働反対の声は単なる雑音にすぎないと思い込みたかったのかもしれない。

    国論を二分する大きな政治問題で「声」と言えば、安保改定をめぐる岸首相の発言を想い出す。1960年(昭和35年)6月、日米安全保障条約の改定反対のデモが連日繰り出して機動隊と衝突を繰り返し、ついにはデモ隊から死者(女子東大生)が出る深刻な事態になった時、当時の岸首相が「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場(現東京ドーム)はいつも通りだ。私には『声なき声』が聞こえる」と言ったというものだ。

    声と言うか、音と言うか、為政者はその時の都合で語る癖(へき)があるのかもしれない。

《注》 デジタル『広辞苑』より。