「水無月」の語源の思い込み

(第283号、通巻303号)

    「五月晴れ」をテーマにした先週号のブログは、1週間のアクセスがあとほんのわずかで8000pv.に迫る勢いを見せ、最近では珍しい“ヒット”となったが、実は枝葉の部分で正確とは言えない書き飛ばしがあったので、補訂したい。

    文の最後の段落を「旧暦は日本の文化、伝統行事と密接に結びついている。新暦で言えば梅雨で雨量の多い6月を旧暦で『水無月』と言う不可思議さも理解されにくい」と結んで、わざわざ《注》を設け「梅雨明け後は日照りの日が多くなるから」と分かった風なことを書いた。ところが、後で二、三調べてみると、この語源説は必ずしも定説とは言えないようなのだ。

    「水無月」の「無」は、有無の無、すなわち「ない」という意味だと頭から思い込んでいたのだが、『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)の「水無月」の項に「『な』は本来『の』の意の格助詞。田に引く『水の月』の意という」とある。驚いて『日本語源大辞典』(小学館)を開いたところ、水のない月、という説を含め11種類の語源説が紹介されていたが、「みなづき」の見出しの下のすぐ後に次のような記述が掲載されていた。
 
 [「な」は「ない」の意に意識されて「無」の字があてられるが、本来は「の」の意で、「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意であろうという。]

    他の辞書にも何冊かあたり、ネット検索もしてみたが、ほぼ同様の説明だった《注1》。要するに、「無」は「な」の当て字なので「水な月」=「水の月」ということになる。してみると、10月を「神無月」というのも、神がいない月、という意味ではなく「神の月」ということなのか《注2》。

    水無月が水のない月、というのは全くの間違いとは言えないまでも、民間語源的な通俗説に近いものように思われる。「一知半解」のまま駄文を弄したことをお詫びしたい。


《注1》 中でも詳しく、分かりやすいのが「高杉親知の日本語内省記」というウエブサイト(http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/index.html)。言語学的視点からの知見も豊かで大変参考になる。

《注2》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)には「『な』は『の』の意で、『神の月』すなわち、神祭りの月の意か。俗説には、全国の神々が出雲大社に集まって、諸国が『神無しになる月』だからという」とある。