「五月晴れ」は6月の空のこと?!

(第282号、通巻302号)

    関東甲信地方が梅雨入りした9日は、私の住む団地近くの小学校の運動会が開かれることになっていたが、雨で順延。翌10日は打って変わって朝から晴れ間が広がる運動会日和。まさに「五月(さつき)晴れ」だ。

    しかし、今は6月。なのに「五月晴れ」と「5」を使うのは、ちょっとおかしい、と違和感を持つ人がいるかもしれない。いや、別に抵抗感はない、という人もまたいるに違いない。国語辞典、漢和辞典で調べてみると、実は、両者とも“正解”のようだ。

    『岩波古語辞典』(補訂版)の「五月」の項には、「サは神稲。稲を植える月の意」とある。そして子見出しの「五月晴れ」の下に「梅雨の晴れ間」という語釈が出ている。五月(皐=サツキ)の語源にはいくつか説があるが、一般的には、「早苗月」が短縮されたもので、つまりは稲作の月。旧暦だと5月にあたる。

    旧暦の5月は、大ざっぱに言えば、現在の新暦の6月。そこで齟齬が生じた。今、梅雨の季節と言うと誰しも6月を思い浮かべるだろうが、旧暦の時代の人々にとっては5月(皐)を意味した。だから、松尾芭蕉の有名な「五月雨(さみだれ)を集めてはやし最上川」は、梅雨で水かさが増して流れが速くなった最上川の情景をうたった句だ。また、五月晴れは、じめじめしたうっとうしい梅雨の間に時折見せる晴天のことを指したのである。

    「五月晴れ」は、元々は文字通り5月を意味していた。しかし、新暦が使われるようになった現在では、梅雨入りはたいてい6月になってからだ。『日本国語大辞典』第2版(小学館)の「さつき‐ばれ【五月晴】」の項には、「1)五月雨(さみだれ)の晴れ間。2)つゆばれ。五月のさわやかに晴れわたった空。さつきぞら」と簡単に記しているが、旧暦と新暦の関係について触れていないのはいささか不親切だ。

    旧暦は日本の文化、伝統行事と密接に結びついている。新暦で言えば梅雨で雨量の多い6月を旧暦で「水無月」という不可思議さも理解されにくい。単に中学、高校の国語(古文)の授業で月の古語を機械的に覚えればいいというものではあるまい《注》。

  
《注》 梅雨明け後は日照りの日が多くなるから。