書籍版は廃刊「ブリタニカ百科」

(第272号、通巻292号)
    
    春4月。入学式、新学期あるいは社会人へのスタートに合わせて、この時期に辞典を買う人が多い。たいていは、国語辞典か漢和辞典、英和辞典の類(たぐい)だろうが、中には奮発して百科事典を求める家庭も、かつては少なくなかった。

    百科事典の代名詞として国際的に通じるのは、「ブリタニカ」だ。私自身は、『ブリタニカ百科事典』《注1》の原語版(英語)も日本語版も持ってはいないが、長い歴史と伝統、水準の高さからいってももっとも権威がある百科事典として定評がある。
 
    その「ブリタニカ」が、244年の歴史を持つ書籍版の発行に幕を下ろす、というニュースが先月中旬、世界を駆けめぐった。デジタル化の波を受け、今後は「紙」をやめ、インターネットを通じた電子版に全面移行するというのだ。シーザーの「ブルータス、お前もか」をもじって「ブリタニカ、お前もか」とつい口に出かかった。

    それというのも、書籍だけでなく新聞、情報誌など印刷メディアの電子化がこのところ急速に進んでいるからだ。ほとんどは、主力媒体としての「紙」の形態も残しつつ、一部を電子化、という両面戦略をとっている。あらすじを追う物語の類ならともかく、図版・写真や関連事項を目で見て比較検討したりする事典、辞典の類は、一覧性の特性を生かすためにも印刷された書籍の形で読むのが“本道”。そう思いこんでいる私のようなアナログ人間にとっては、他人事(ひとごと)でない。

    辞書、事典の類は、目的の項目を直接調べるだけでなく、特段の目的もなくパラパラと気ままにページを飛ばし読みしたり、途中で寄り道をするようにページ漁りしたりするのも楽しみの一つだ。たとえば、「桜」の項目を調べるついでに、「サーカス」とか「酒」とか、他の項目のページについ惹きつけられることもしばしばある。

    日本で百科事典といえば、平凡社が昔から有名だが、私が愛用しているのは、小学館の『日本大百科全書』(全25巻)である。1984年11月の「あ−あん」の第1巻から2カ月おきのペースで配本され、索引の第25巻まで全部揃(そろ)うまでに4年4カ月もかかった。事典で「か」行以下の部分がまだないなど一部が欠けているのでは用をなさない、と全巻揃うのを待って求めるのが常識だろうが、1巻、また1巻と間を置いて配本されてくるのも別の楽しみだ。その一つに正誤表の貼り付けがある。例えば、我が国の遊園地の歴史を私が知ったのは、正誤表を見た偶然のお陰だ。

    第23巻の「遊園地」の項目の記述について、「日本の遊園地は1918年(大正7)宝塚電車(現在の阪急電鉄)による宝塚ファミリーランドの建設が最初で……」としたのは年号の誤りで、正しくは「日本の遊園地は1911年(明治44)宝塚電車(現阪急電鉄)〜」なので直しておいていただきたい――最終配本の第25巻にそんな訂正用紙が挿入されていたのである《注2》。それを該当ページに貼り付け、本文の記述を訂正する。その作業を通じて「遊園地」の項目を読むともなしに読んでしまう。一種の寄り道だ。電子媒体だと、誤りは瞬時に直されるが、どこがどう変わったかまでは分からないので、寄り道のしようがない。

    ニューヨーク発ロイター電によれば、書籍版はまだ4000セットの在庫があり、それがなくなるまで販売するという。逆にいえば、在庫が切れた時点で書籍版は終わることになる。一抹の寂しさは禁じ得ない。むろん、電子媒体には、探したい項目に一直線に飛ぶことができ、しかも検索機能が格段に優れているという特性がある。それについては、号を改めて取り上げよう。


《注1》 ロイター電やウェブ百科「ウイキペディア」などによれば、1978年にスコットランドエディンバラで最初に発行された。イギリスの教養を要求するブルジョワジーに受け入れられて成功。1897年にアメリカ人に版権が移り、第9版以降を刊行。2012年3月、現行の2010年度版(全32巻)をもって本としての発行に幕を下ろすことが発表された。 今後は電子版のみの発行となる。
《注2》 印刷物にミスはつきもの。何重にチェックしても校正しきれない。『日本大百科全書』の場合、刊行後に発見された間違いについては、その後の巻に間違い個所と字数をピタリそろえた訂正用の添付用紙を挿入し、間違い個所に「上書き」出来るよう工夫がこらされていた。