かりゆし、京都、アロハシャツ

(第233号、通巻253号)
    
    「かりゆし」、「京都」、「アロハシャツ」。こう並べると、なにやら三題噺(さんだいばなし)めくが、共通項がある。
    
    「かりゆし」は沖縄の言葉で「めでたいこと」「縁起がいいこと」「自然との調和」というのが元々の意味だというが、近年は「かりゆしウェア」で全国的に有名だ。沖縄地方のビジネスマンの仕事着として認められている半袖の開襟シャツを指す。テレビニュースなどで沖縄県知事ら要人が政府関係者との会談の際に着用している場面を見たことのある人も多いだろう。2000年に開かれた九州・沖縄サミットで各国の首脳が公式の席でも着用したことから「全国ブランド」になった《注》。ノーネクタイ、ノー上着クールビズの先駆けと言える。
    
     先週、沖縄を旅した際、初めて本場の「かりゆし」を買い求めた。普通の半袖シャツととりたてて大きな違いはないように見えるが、柄は沖縄で魔除けとされている伝説上の獣・シーサーだった。他にもゴーヤやシークヮーサーデイゴなど沖縄独特の風物をデザインした柄が多い。しかし、かりゆしウェアは沖縄に昔からあった伝統的な衣服というわけではない。30年ほど前に観光アピールの一環として作り出されたもののようだ。モデルになったのが、アロハシャツだった。
    
    アロハシャツといえば、ハワイとなるのが常識だが、私には、京都に特別の思い出がある。かつて仕事の上で密接な関係のあった京都の音楽団体から定年退職祝いに妻とペアのアロハシャツを贈ってもらったことがある。妻あてのものは鮮やかな赤地に鶴のデザイン、私のは目のさめるような青緑色に亀の柄で、共にシルク製。派手すぎてふだん着るには勇気がいる。その2年後、京都で開かれることになっていた国際的なシンポジウムの際、夫婦でアロハシャツを着て京都駅の新幹線ホームに降り立てば、高額のコンサートや著名な音楽家によるセミナーの数々を10日間の期間中すべてタダで招待する、という条件だったのである(結局は私だけがそのイベント全体のスタッフとして参加した)。
    
    それにしても、なぜ、京都でアロハシャツなのか。プレゼントしてくれた仲間たちが語るには、意外なことに、アロハシャツの“ふるさと”は実は京都だ、という。人為的に普及をはかった「かりゆしウェア」と違って、古い歴史を持つアロハシャツには、ルーツにも諸説がある。
    
    その一つが、「京都らしいものの現在」というサイトの「着物」に載っている解説だ。かいつまんで言うと、戦前、ハワイに移住した日本人たちが、持っていた着物を仕立て直してシャツにしたのがアロハシャツの始まり。京都は戦中、比較的戦災が少なく、しかも染技術が発達していたので、戦後になって京都を中心とする和柄が大量に輸出され、次々アロハに生まれ変わっていったという。友禅絵師の活躍も大きかった。今では、京都でも友禅染の技術を用いたアロハシャツが作れられるようになった。私が贈られたのは、その京都製、少々大げさに言えば由緒正しき「元祖アロハシャツの嫡流」だったというわけだ。
    
    ハワイ州観光局のホームページによると、今年は「アロハシャツ」が正式商標登録されてから75年目という記念の年。現地では75周年を祝う様々なイベントが開催されるという。この夏、日本では節電が叫ばれているせいで省エネの扇風機が大人気。近くの大型電器店の売り場には1台も見あたらないほどだ。入荷するそばから売れ切れるという。
    
    今年は、ポロシャツに代えて、たまには「かりゆし」と「アロハ」を着てクールビズに徹しようかと思う。、


《注》 国内最大のデータベース・サイト『ジャパンナレッジ』や『ウィキペディア』などによる。
【お詫び】 沖縄旅行に出かけたため、本来なら6月29日に発信するはずだった「233号」を休載せざるをえませんでした。毎週水曜日に更新している当ブログを休んだのは、今年1月のイタリア紀行以来2回目です。今回は予告をしなかったため、熱心な「愛読者」の方から「病気になったのか」とご心配をいただきましたが、また再開いたしますので、よろしくお願いいたします。