「雨天の友」はいずこ?

(第232号、通巻252号)
    雨天の合間に陽が射す時はあるものの、まだ梅雨は明けていない。21日には、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方が梅雨入りした。シトシト降るだけでなく、時には豪雨となる。九州などでは、土砂崩れなどの災害を引き起こしている。
    ちょうど1年前の当ブログで、鳩山前首相の座右の銘の一つ「雨天の友」を取り上げた。前首相は辞任発表前日の夜、ひそかに公邸を訪れた補佐官の代議士に「今までありがとう。『雨天の友』をこれからも大切にしたい」と語ったという読売新聞の検証記事を元にしたものだ。
    「雨天の友」は、響きもよく、なかなか味のある感じの言葉だが、ふつうの国語辞典には載っていない。中国の古典にある名句でもない。実は、故三木武夫元首相が演説の中で「人生には二人の友がいる。晴天の友と雨天の友だ。人生に雨が降ると、友は一人去り、二人去りと消えてゆくものだ。雨が降っても訪ねて来てくれるのが雨天の友である」という趣旨で語ったものだという。逆境にある時に励まし支持してくれる友人、というほどの意味だろう。
    6月10日付けの朝日新聞に「菅首相が退陣を表明して以来、首相官邸への来客が激減。多い日には分刻み面会予定をこなしてきたのに、最近は閑散としており、6月3日から9日までの間に幹部官僚で首相を訪れたのは5人だけ。事務次官は1人も来なかった」という記事が掲載された。20日付けの記事にも「役所がぴたりと連絡してこなくなった」とある。
    菅首相はもともと「政治主導」を声高に叫んできた人間だから、官僚が今や“レームダック”状態になった首相のもとに行かなくなった気持ちはわからないでもないが、それにしても同志の政治家仲間に「雨天の友」はいないのだろうか。
    ここ数日、首相公邸に民主党の岡田幹事長ら幹部が訪ねて、震災関連などの議案成立と引き替えに退陣を説得している、と伝えられるが、菅首相にとって、これらの幹部は「晴天の友」であったとしても、今やとても「雨天の友」とは言えまい。「晴」か「雨」かの違いの基準は、政局にあるのだ。被災地の人々にとっては復興をどう進めるのかこそが喫緊(きっきん)の課題だというのに。
    被災地に民間ボランティアの雨天の友は国内外から大勢来ている。困った時の真の友である。だが、晴雨にかかわらず駆けつけ、復興への手をのばすべき永田町の住人たちは政局に明け暮れ、右往左往しているばかりだ。「3・11」からもう百日余。22日は夏至である。永田町から被災地への「雨天の友」というべき復興策が届くのはいつになるのだろうか。東北地方に縁が多い身としては心配でたまらない。