「一定のメド」の意味のあいまいさ

(第230号、通巻250号)
    菅首相が今月2日の民主党代議士会で述べた「一定のメド」発言が、首相の退陣時期がいつかという問題と連動して波紋を広げている。もう少し詳しく言うと「大震災対応に一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継いでもらう」という内容だ。ここでは、政局から距離をおいて、言葉の観点から「一定のメド」の意味を考えてみたい。
    まず、「一定(の)」の意味。手元にある大、中、小3種類の国語辞典4冊の語義をまとめると、1)一つに定まって動かないこと、決まっていて買わらないこと 2)決めた状態にすること 3)十分とはいえないが、ある程度――の三つに分類できる。このうち、3)については、「相応の」とか「まずまずの基準に達していること」とかのプラスイメージを出している辞書もある。
    念のため、和英辞典にあたってみると、「温度は15度に一定してある(The temperature is kept constant at fifteen degrees.)」とか、「申請書は一定の書式に従って書くことになっている(Applications are to be written out according to the prescribed form.)」とか、あるいは「一定の時間内に仕上げること(It must be finished within the given time.)」など、もっぱら1)の意に絞った例文が目立つ。
    では、「メド」の意味はというと、1)事を進めていく上での目標とするところ、目当て 2)見通し 3)糸を通すための針の穴――といった語釈に「5月をメドに完成させる」「問題解決のメドがいっこうに立たない」といった例文が挙げられている《注》。
    以上の点を考慮に入れて菅首相の言う「一定のメド」を分析してみると、「十分とはいえないが、まずまずの見通しをつけた段階で」とも「あらかじめ決めた目標を達成したところで」とも解釈できる。つまり、言葉の意味に幅があり、「一定」していないのである。菅首相自身は7日の閣僚懇談会で自らの辞任時期について「一定のメドというのがいろいろ取りざたされているが、自分としては常識的に判断したい」と語ったという。
    政治家は、ましてや首相は国民に対して語るのが筋なのに、自分の言葉を「常識的に判断したい」と第三者的に言うのも妙な話だ。


《注》 「メド」は、漢字では「目処」「目途」と書かれることもある。まれに「針孔」とも。『岩波国語辞典』(第7版)によれば、「目途」と表記するのは当て字。マスコミでは、漢字を使わず「めど」とひらがな表記するのが建前だが、同じ日の同じ新聞でも面によって、いや同じページでも「メド」、「めど」と別々の表記をしている例もある(6月3日付け朝日新聞朝刊1面では、本記は「めど」で統一していたが、コラムの天声人語は「メド」とカタカナ表記だった。ひらがなの多い記事の中で「めど」と書くと埋没してしまうことを懸念したのだろうが、同じページの中では不体裁だ)