「蓋然性」とは

(第208号、通巻228号)
    個人情報を含む国際テロ関係の公安資料がインターネット上に流出した事件で、警視庁は2カ月近くも経ってからようやく警察の内部文書であることを認めた。その際の記者会見で公表した見解に「警察職員が取り扱った蓋然性(がいぜんせい)の高い情報が含まれる」という文言があった。
    「蓋然性」。日常会話ではまず使われない言葉だろう。会見の翌々日の朝日新聞の社説(12月26日付け)は、「辞書で『蓋然性』という語を引くと、『たぶんそうであろうと考えられること』の意だ。はっきり内部文書が漏れたと言い切ったのではない。(一部略)この程度の見解なら、発覚のすぐ後に出せたはずである」と批判している。
    もっともな意見だが、ここではその当否ではなく「蓋然性」という語の使い方について考えてみた。小学館の『使い方の分かる 類語例解辞典』では、この語は「本来、哲学用語で、可能性の程度、確からしさをいう。文章語」と説明しているが、今ひとつはっきりしない。このような難解語の解説は中高生向けの『ベネッセ表現読解国語辞典』が分かりやすい。こんな具合だ。
    「(ある事柄が起こるか否かについて)おそらくこうなるだろう、と思われる度合い。(ある知識や判断が真実であるかどうかについて)おそらくそうだろう、と思われる度合い。それが数学的に定式化された場合、確率と呼ばれる」《注》
    「蓋然性」の「蓋」一字だと、ふつうは「ふた」を意味するが、『新潮日本語漢字辞典』など二、三の漢和辞典によると、「けだし」という読みもある。漢文の訓読などで「蓋(けだ)し至言である」というように用いられる。かなりの確信をもって推量する、の意を持ち、『明鏡国語辞典』(大修館書店)第2版は「思うに。おそらく。たしかに」の語釈を示している。
    これらの辞典に従えば、「可能性」と言い換えてもよさそうな感じがする。とすると、「蓋然性」とはどう違うのだろうか。一般的には、蓋然性は“probability”、可能性は “possibility”と英語を使って説明されることが多い。私なりに解釈すれば、たとえば天気予報で、「明日は雨が降る可能性もないではないが、晴れる蓋然性の方がはきわめて高く、明日はおそらく快晴でしょう」とでもなろうか。要は、蓋然性は可能性の程度が高いこと、つまり公算が大きいこと、とほぼ同じ意味と解釈しても、一般的には問題ないと思われる。
    冒頭の警視庁の記者会見で示された見解に戻ると、「警察職員が取り扱った蓋然性の高い情報が含まれる」などとことさら難しい言葉を使った表現をせず、素直に「可能性が高い」と日常語で言い表した方がはるかに分かりやすかったろう。あるいは、「確率が高い」「公算が大きい」でもよかった。公務員同士で交わされる文書ならともかく、一般の国民に向けた「謝罪」の言葉なのだからもってまわった表現は避け、単刀直入に言うべきだと思う。


《注》 『ベネッセ表現読解国語辞典』によれば、「蓋然」は、明治10年代に哲学用語である“probable”を訳すため、造語された。井上哲次郎らが『哲学字彙(じい)』(明治14年刊)で用いたのが最初、といわれる。