続・「森」は「林」より木が多いか

(第196号、通巻216号)
    前号の末尾で紹介した“学究派”の説――人間の手が入らず自然のままに生えているのが「森」で、人間が手を加えて人工的に育てたのが「林」――は、実は語源的にも有力な説なのである。
    各種の国語辞典や語源辞典の説明をかいつまんでまとめると、大和言葉としての「はやし」は「生やし」が語源。木が生えている、木を生やしてある、の名詞形だ。人間が生やした木、つまり人工林である。もともとあった木々を利用しつつ手を加えて育成したものもあるが、最近では、住宅や家具などの材料にするために植栽されるケースが目立つ。スギ、ヒノキ、カラマツ、トドマツなどに多い。
    だから、林はたいてい同じ種類の樹木が並ぶ。植栽の時期も変わらないから林全体の高さも均一化している。
    一方、大和言葉としての「もり」は、呉智英著『言葉の常備薬』(双葉社)によれば、「群(むれ)」「(草)むら」と同じ語源で、母音が交替したもの。木々が地面から「盛り上がっている」と考えてもいい――としている。一般的には、「自然に盛りあがった所」の「盛り」から来た言葉と考えられている。
    辞書としては実にユニークな語釈を示しているのが『新明解国語辞典』第6版(三省堂)だ。説明は3段構え。まず「遠くから見ると濃い緑が盛り上がって見え、近づいて見ると日のさすことがほとんど無い所の意」と前置きし、「まわりに比べて際だって高く大きな木が茂っている所」と記述している。これが語義の中核部分だが、さらに続けて「わが国では、多く神社や旧家が有って、その一帯が四辺から顕著に区別される所を指す」と念を入れた説明を加えているのである。
    この中で注目すべきは「神社」に言及していることだ。民俗関係の本を見ると、日本では古くから神を祀(まつ)る所に茂る木立を森と呼ぶ習慣があるという《注》。『明鏡国語辞典』(大修館書店)には「神霊の宿る所とされる」とあり、『岩波国語辞典』第7版には「本来は(神社など)神が下りる神聖な場所」とある。「鎮守の森」はその一例と言える。
    これに対して、「林」は、木が多く茂っているという点では同じでも神聖な意味合いは感じられない。
    「林」と「森」。木の数の多い少ないの差か。密集度の違いか。人間の手がはいっているかいないか。神様がいるかいないか――ある視点から見ると、共通していても、別の視点から見ると明確な区別がある。ふだん、何気なく使うやさしい言葉にも様々な顔があるのだ。
    「杜の都」や「早稲田の杜」の「杜」については、別の機会に改めて取りあげよう。


《注》 小学館日本大百科全書