国技とは

(第185号、通巻205号)
    大相撲が賭博問題で揺らいでいる。大相撲と言えば国技という言葉が反射的に浮かぶ。親方や力士によるプロ野球賭博が社会問題化してからは「国技」という語が一層目につくようになった。日本相撲協会名古屋場所では天皇賜杯などの表彰を辞退する方針を決めたことについて、横綱白鵬が今月8日、「なにか、自分たちの手で国技をつぶすのではないかという気がします。この国唯一の国技を」と発言したのは、その一例だ。
    日本の国技は大相撲。ほとんどの日本人にとってそれが常識化している。しかし、法律など公的な文書にきちんとした根拠が明記されているわけではない。そもそも、国技という定義自体が必ずしも明確でない。国語辞典の定義の代表として岩波書店広辞苑』第6版を挙げると「その国特有の技芸。一国の代表的な競技。日本の相撲など」としている程度だ。となると、相撲以外でも、たとえば、茶道や華道、歌舞伎、なぎなた、柔道、剣道、空手などを「国技」に含めてもおかしくないことになる。
    大相撲については、「日本古来の」とか「伝統ある」とかとよく言われる。たしかに相撲自体の歴史は古いが、実は国技と呼ばれるようになったのはたかだか100年余前に過ぎない。
    小学館日本大百科全書』によれば、1909年(明治42)6月、東京・本所両国の回向院(えこういん)境内に相撲常設館が完成した際、この開館式の式辞文中に「相撲は日本の國技」とあって、常設館が「國技館」と命名された。以後、相撲は国技という名称で呼ばれるようになったというが、元々は、相撲界が自分たちから「国技」と名乗り、それが一般に広まったと言うべきかもしれない。
    当時は、常陸山(ひたちやま)と梅ヶ谷(うめがたに)の両横綱が並び立ち、大相撲は黄金時代の隆盛を迎えていたが、常設の会場はなく、小屋掛け興業だった。そこで、雨天でも興業できる屋内相撲場が建設されたわけだが、最終的に「國技館」という名称を断じたのは常設館設立委員長の板垣退助と言われる。
    では、国技という語はどこから出たのか。『日本国語大辞典』第2版(小学館)には、正岡子規の作品(1896年)の中に「ベースボールは素と亜米利加合衆国の国技とも称すべき者にして」という用例があることを示し、暗に「初出」と言っているようにも受け取れるが、同じ小学館発行の『日本大百科全書』を注意深く読むと、きわめて意外な記述が載っているのだ。
    その一節を引くと、「近年の日本野球でも『野球を不朽の国技』とすることが野球協約にうたわれているが、野球ファンにもその趣旨は普及していない」とあり、続けてさりげない筆致で「日本において『国技』の初出は、江戸時代の化政(かせい)期(1804〜30)に隆盛をみた囲碁を武士階級が国技と称したことがある」。つまり、国技という語が初めて使われたのは相撲ではなく、囲碁だったというのである。
    しかし、囲碁は今や日本の天下ではない。中国、台湾、韓国の棋士が日本のプロ棋士を圧倒しているのが近年の実情だ。日本人の横綱がいない大相撲は言わずもがな。共に「国技」が泣く。