「新常用漢字」余話

(第177号、通巻197号)
    当用漢字から常用漢字へ、そして「改定常用漢字」へ。先頃、文化審議会の国語分科会で改定の答申案が承認された。年内に正式決定される運びという。日常的に用いられる「基本漢字」がほぼ30年ぶりに改定されるわけだ。
    新しく追加される196文字の中には、岡、嵐、頃、誰、熊といった小中学生でも知っていそうな易しいのもあり、これまで常用漢字に入っていなかった方が不思議な感じもするが、その一方で「鬱」「蓋」「彙」など、読めるが正確に書くのが難しい字も含まれている。二、三の漢字にまつわる個人的な余話を述べると――
    こんどようやく常用漢字に仲間入りする字に「」(かき)がある。言うまでもなく秋に色づく果物のことだ。「桃栗三年柿八年」という成句があることでもあり、当然ワンセットで常用漢字になっていると思っていた。それはともかく、20代の半ばになるまで「」(こけら)との区別を知らなかった。同僚の一人が、ある総合文化施設の建物が新築落成して最初の興業を行ったいう意味の文章で「杮(こけら)落とし」と書いたのを見て恥ずかしながら、なぜ柿を落とすのか、と不思議に思ったものだ。
    実は、「こけら」と読む「杮」は、材木を削ったくず、の意。「杮落とし」とは、建築工事が終わって足場などの杮を払い落とすことから新築後行われる最初の興業、を意味するようになった《注1》。では、果物の「柿」の字とどこがどう違うのか。パソコンのディスプレイ上では、フォントのポイント数を大きくしても同じにしか見えないが、『明鏡国語辞典』(大修館書店)には、「柿(かき)」(9画)は別字、とわざわざ注記がある。「杮(こけら)」の方は、8画扱いなのである。旁(つくり)の真ん中の棒が上から下まで突き抜けているのに対し、「かき」の方はナベブタの下に巾が付くので字画が1画多くなっている《注2》。
    常用漢字に追加された「」にも恥ずかしい思い出がある。完全無欠、欠点や不足な点がまったくない、というつもりで「完壁」と再三再四書き、それで「かんぺき」と思い込んでいた。ある時、上司に「かんぺき、の『ぺき』は下が土の『』(かべ)ではなく、『璧』と下に玉と書くのが正しい」と注意され、ようやく誤りに気付くお粗末ぶりだった。
    しばしば用いながら書けない漢字の代表格が「語彙」の「」である。私も入っているあるボランティアグループの間で、近ごろの大学生は基本的な常用漢字を知らないので語彙テストをやろうということになった。しかし、そう言う我々自身の誰もが「彙」と書けるわけではない。常用漢字に入っていないのだから交ぜ書きでかまわない、と自己弁護しつつ一人がホワイトボードに「語力を高めよう」と書いたものの、交ぜ書きではどうもしっくりこない。で、結局は別の仲間が「い」を「彙」に書き換えて一件落着した。
    「彙」の字を含めた改定常用漢字案が正式に発表されたのは、それから1週間後のことだった。いくら常用していても単に読むだけでなく手書きできるようにしなければと、遅ればせながら痛感した次第だ。


《注1》 『新明解国語辞典』第6版(三省堂)
《注2》 『新潮日本語漢字辞典』によれば、両字は別字だが、JISの規格の1997年は、両者を同一字形とする見解をとっている。ATOK文字パレットの漢字検索では、果物の柿の方はJISが3341、Unicodeが“U+67FF”、こけら落としの方の杮についてはJISのコードは載っておらず、Unicodeも“U+676E”と別コードになっている。