「歯がみ」に見る見出しの苦労 

(第164号、通巻184号)
    「目は口ほどに物を言う」「目から鼻へ抜ける」「目には目を、歯には歯を」など、日本語には体の部位を取り入れた慣用句、成句が多い。特に多いのが「口」から始まる語。ついで「目」。一方で「歯」で始まる語は意外に少ないのだが、最近、知人の一人から「歯」を用いた新聞のある見出しについて意見を聞かれた。
    「逮捕 もっと早ければ…」「知人ら歯がみ」「絶たれた教師の夢」――残酷な千葉大生殺害事件で容疑者が再逮捕された翌2月18日付け毎日新聞朝刊の社会面トップの見出しである。「歯がみ」とあるが、誰にもすぐ分かる言葉だろうか、というのだ。
    ふだんはまず目にすることのない言葉なので、少しばかり異様な感じを受けた。私の頭にとっさに浮かんだのは「獅子(しし)の歯噛(はが)み」という成句だった。「獅子がおそろしい様子をして怒るさま。転じて、たけり怒るありさまのたとえ」(小学館日本国語大辞典』)のことだが、「歯噛み」そのものについても同辞典は、「歯ぎしり」と並べて「歯をむき出したり歯の音を立てたりして威嚇すること」と説明しているだけで、上の見出しの意味としてはまったく合わない《注1》。
    しかし、見出しが「歯がみ」の意味を取り違えていたわけではない。『新明解国語辞典』など多くの辞書は、『日本国語大辞典』に欠落している「怒ったり、悔しがったりして、歯を強くかみしめること」という語義の方を前面に示している。新聞の編集者も、「歯をくいしばって悔しがる」という思いを込めて見出しをつけたのに違いない。もちろん、間違った言葉ではないし、誤用でもない。平安時代の昔から用いられてきた由緒正しい日本語である《注2》。
    言い換えれば、古めかしく文語調の語だ。「逮捕 もっと早ければ…」という現代風も話し口調の見出しに続くメーンの見出しとしては、チグハグな感じが否めない。平均的な読者にとっては、見出しが言わんとしている雰囲気はなんとなく感じたとしても、意味はよく通じなかったのではないだろうか。ちなみに、私の「第二の職場」の老若男女10人ほどの仲間に感想を聞いたところ、本来の意味をすぐ分かったのは1人しかいなかった。
    ここに新聞の見出し作りの難しさがある。短い持ち時間内に、記事の要点を限られた字数で分かりやすくまとめる。正しければいいというものではない。硬い言葉より柔らかい言葉で、読者の目を引きつける「惹句」の要素も必要だ。特に社会面のような幅広い読者層を対象としている記事の場合は、言葉の選択に苦労する。時には、紙面を作り終えた後になってからより魅力的な見出しが浮かんで「歯がみ」することもあるに違いない。


《注1》 幅広く詳細な語釈で知られる『日本国語大辞典』としては珍しくバランスを欠いた記述であり、「歯ぎしりして悔しがる」という語義を掲載していないのは解せない。
《注2》 『岩波古語辞典』には、平安時代の『和名抄』からの用例が収録されている。