「朝三暮四」を「朝令暮改」と勘違いしてた?鳩山首相 

(第160号、通巻180号)
    最近の国会は、政策論争だけの場ではなく、まれに国語力を試す場にもなる。
    先週22日(金)の衆院予算委員会。麻生政権の手で編成された2009年度1次補正予算の事業を執行停止しながら2次補正予算案で復活させたことについて自民党茂木敏充幹事長代理が鳩山首相にただした際、「総理、『朝三暮四』(ちょうさんぼし)という言葉をご存じか」と尋ねた。これに対し、首相は「それはよく知っている。朝三つ、夜四つという話。朝の発言や決めたことと、夜決めたことがすぐ変わる。あっさり変わってしまうことだ」と自信たっぷりに答えた《注1》。
    このところ、鳩山首相は自分の発言が批判を浴びるとすぐ撤回したり、その中身を修正したりすることが多い。この日の答弁は、そんな首相自身のことを示しているような内容だけに、委員会室には笑い声が聞かれたという。
    しかし、笑いには別の意味合いもあったようだ。質問者の茂木氏がすかさず「総理が今おっしゃったのは(『朝三暮四』ではなく)『朝令暮改』のことです」と指摘、そのうえで「朝三暮四」の故事の意味を首相に説きながら政府の予算編成を「ごまかし」と批判した。この質疑応答に見る限りでは、首相の答弁を自虐的、ととらえるのはうがち過ぎだろう。単に「朝三暮四」を「朝令暮改」と勘違いしたものと考えられる。
    「朝三暮四」とは、大修館書店『明鏡 ことわざ成句使い方辞典』の説明をもとにまとめれば「エサ代に困った宋の国の狙公(猿回し)がエサを減らそうと考え、猿たちにこれからはトチの実を朝に三つ、夕方に四つにすると告げたところ、猿たちが少ないと怒り出したので、それなら朝四つ、日暮れに三つにすると言い直したら喜んだという中国の故事から、目先の違いにとらわれて、結果が同じになることに気がつかないことや、言葉巧みに人を欺き愚弄すること、当座しのぎに適当にあしらうこと」などの意に用いられる。
    上記の辞典には、「朝令暮改」と混同して法令や命令が次々に変わるという意で使うのは誤り、とわざわざ注記がある。予算委での茂木氏の質疑は「鳩山政権の予算は、麻生政権が作った予算を表面だけ変えたが、中身は実質的に変わっていない『朝三暮四』だ」と突いたわけで、確かに「朝令暮改」では意味が通らない。しかし、事はそう単純に割り切れない。ウェブの「語源由来辞典」《注2》に「派生的な用法」と断りつきながら「中国では、考えがころころ変わって定まらない意味でも、『朝三暮四』が用いられる」との異説が紹介されているからだ。
    この「派生的な用法」を鳩山首相が意識して使ったわけではないにしても、「朝三暮四」という単語そのものを知っていることは確かだ。今から8ヵ月前、まだ政権の座についていない昨年5月20日民主党代表としてぶらさがり取材に応じた時の発言からもそれはうかがえる。
    当時の自民党政府が検討を始めた厚生労働省の分割案について鳩山代表は「かつてあった厚生省と労働省を改革だといって一つにした。今度はまた分離するという。ある意味で朝三暮四というか。なにが原因で一つにして、なにが原因でまた分離させるのか」と述べたのである《注3》。
    この発言、広い意味での「朝令暮改」とも解釈できる。鳩山首相はどうもはじめから意味を取り違えて覚え込んでしまったのではないか、とも見られるが、あるいは「朝三暮四」の本来の意味も承知の上での発言なのか。自称「宇宙人」の言葉は難しい。案外奥が深いのかもしれない。


《注1》 1月23日付け「日刊スポーツ」
《注2》 ウェブの「語源由来辞典」のURL(http://gogen-allguide.com/
《注3》 「MSN産経ニュース」2009年5月21日(http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090520/stt0905202145015-n5.htm
【参考】 このブログを発信した後、コメント欄の「おとなり日記」に 「辣子辣嘴不辣心 小妹嘴甜心不真 (獅城版) 」というブログ(http://d.hatena.ne.jp/baatmui/20100125)があるのに気づきました。そのブログには、私が「派生的な用法」として引用した意味が実は中国語では昔から使われていた、と原典を示して詳しく紹介されています。