白砂青松の「天橋立」と神話

(第149号、通巻169号)
    神秘的でロマンティックな文字と音の響きを持つ「天橋立(あまのはしだて)」。今年10月から5年計画で改修保存工事が始まった「姫路城」。別名白鷺城。片や日本三景の一つに挙げられる天下の景勝地、片や世界文化遺産の日本登録第1号《注1》の名城。壮麗な外観は、城本来の目的の要塞というより芸術的建築物だ。共に一度は行ってみたいものだと思っていた場所である。
    同じ関西圏にありながら、2個所を効率的に結ぶ旅行ルートは、首都圏から公共交通機関だけを利用して行くとなると便利とは言えないが、偶然、家人が願ってもないパック・ツアーを見つけた。それを奇貨として数日前さっそく出かけた。
    天橋立は、たしかに日本三景の名にふさわしい眺めだった。ケーブルカーで傘松公園に昇り定番の眺望場所から眼下を見る。左手に宮津湾。右手に内海の阿蘇海。その間を松並木の続く砂嘴(さし)が斜め一文字にグイと走っている。
    一段高い台に上がって有名な「股のぞき」も試みた。体のバランスを取りにくく頭が少しクラクラしたが、錯覚のせいか、視界の天地が逆転し、松並木が空中に浮かんでいるように見えた。大げさに表現すれば、天に架ける橋だ。このことから「天橋立」と言い習わされてきたのだろう。
    しかし、「橋」は現代の日本語では「架ける」とは言うが、「立てる」とは言わない。なぜ、橋が立つ、と書くのだろうか。実は、橋は古語の世界では「梯」とか「階(きざはし)」とかと書き、梯子(はしご)や階段をも意味するのである《注2》。はしごなら「立てる」と表現するのは普通だ。
    ここで神話の世界に入る。天橋立の由来について、地元の宮津市の各種観光案内書や京都府丹後広域振興局ホームページは『丹後風土記』や『古事記』を引用して説明している。その主なところを市販の古事記の解説書《注3》などの助けを借りてまとめると――
    天上の神々の衆議により国土作りを命じられた伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)の二神は天と地の間に架かる「天浮橋(あめのうきはし)」《注4》に立って四国、九州など日本の国土を次々と作った。伊耶那岐命が天に通うためのはしごを作り、立てかけておいた。そのはしごが、命(みかど)の寝ている間に倒れ、1本の細長い陸地になった、と伝えられている。
    その陸地が天橋立というわけだ。幅20メートルから170メートル、長さ3キロ余にわたって黒松の並木が延びる。今では珍しくなった白砂青松(はくしゃせいしょう)の地である。砂の色は淡黄がかっているが、粒はサラサラと細かい。自然が神代の昔から長い歳月をかけて作り続けてきた神秘の造形美である。

 
《注1》 1993(平成5)年12月に法隆寺と共に登録された。
《注2》 『岩波古語辞典補訂版』
《注3》 『古典を読む 古事記』(岩波書店)、『ビギナーズ・クラシック 古事記』(角川文庫)
《注4》 『古事記』に出てくる表現だが、「天橋立」の別名と受け止められている。