「10.21」国際反戦デーと“還暦”の「わだつみのこえ」 

(第146号、通巻166号)
   きょうは「10月21日」。この日付を「10.21」と表記するか「ジ(ュ)ッテン ニーイチ」と発音すると、特別な感慨を抱く人も少なくないにちがいない。「国際反戦デー」。1966(昭和41)年に当時の日本労働組合総評議会(総評)がベトナム戦争に反対してデモを呼びかけ、それがきっかけで生まれた反戦記念日だ。昨今はほとんど忘れられた観があり、ニュースになるのもまれだが、1968年には反代々木系の学生たちが新宿騒乱事件を引き起こすなど、ひと頃は「10.21」のたびに大規模なデモや集会が繰り広げられたものだ。
    Webのフリー百科事典「ウィキペディアWikipedia)」の「国際反戦デー」の項には、「また、この日は奇しくも1943年に学徒出陣壮行会が開かれた日である」《注1》と記されている。これら学徒出陣兵の多くは戦場に散ったが、戦没学生たちが書き残した手記、遺稿を集めて戦後『はるかなる山河に』が出版された。その続編が『きけわだつみのこえ』《注2》である。それは、私の青春時代のバイブル的存在だった。「戦争の目的を疑いつつも、祖国と愛する者の未来を憂いながら死んでいった学徒兵たち」《注3》の手記は、明哲な知性と鋭敏な感性がそこここににじみ出ており、我々の胸を打たずにはおかないものだが、今回のブログでは「わだつみ」に焦点をあててみたい。
    『きけわだつみのこえ』という書名は、同書(岩波文庫旧版)の「あとがき」によると、編集委員会が一般公募して集めた約2000通の案の中から選ばれた。自らも学徒兵だった京都在住の歌人藤谷多喜雄の「はてしなきわだつみ」というのが原案だ。この案のわきに「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という自作の和歌が添えられていた。
    この和歌は、『〈きけわだつみのこえ〉の戦後史』(文藝春秋保阪正康著)《注4》によれば、藤谷が題名を応募するにあたって、先に公刊されていた『はるかなる山河に』の表紙の海の写真を見て一瞬のうちに詠んだ作品だという。藤谷はこの歌の「きけ」と「わだつみのこえ」の横に朱線を引いていた。『はるかなる山河に』の続編のタイトルをどうするかという編集会議の席で、編集委員の一人がこの朱線の部分を口にした。その語感、意味するところに誰もが厳粛な気持ちになった。そしてしばらく沈黙が続き、ごく自然に題名が決まった。それは「運命的だった」という。
    「わだつみ」は「わたつみ」ともいう。万葉集にも詠われている古語で、「わた」は海、「つ」は「の」の意の古い格助詞、「み」は「霊・神」の意。すなわち「わたつみ」は「海の神」を指す。『日本国語大辞典』第2版(小学館)には、「海の神がいる所から転じて、海、海原」を意味するようになった、とある。
    藤谷の自作の和歌は「嘆くのか、怒るのか、あるいは沈黙するのか、聞け はるかかなたからの海霊の声を」というような意味であろう。
    『きけわだつみのこえ』の初版が発行されたのは1949(昭和24)年10月20日。今年の「10.21」は、『きけわだつみのこえ』の満60歳の誕生日の翌日にあたる。


《注1》 26歳以下の学生の徴兵猶予が解除されたのに伴い、1943(昭和18)年10月21日、東京・明治神宮外苑陸上競技場(現・国立競技場)で文部省が主催して開いた。反戦デーをこの日に設けたのは、「奇しくも」ではなく、学徒出陣壮行会にちなんでのことではあるまいか。
《注2》 初版は、東大協同組合出版部から刊行された。その後、光文社のカッパ・ブックス版が発売された。私が最初に手にしたのはこの版だった。さらに1982(昭和57)年に岩波文庫(旧版)が刊行されたが、編集に問題があったとして1995(平成7)年に一部改訂した『新版 きけわだつみのこえ』(岩波文庫新版)が発刊された。
《注3》 岩波文庫(旧版)の表紙の惹句から
《注4》 同書は、『きけわだつみのこえ』の編集について、戦没学徒の手記の一部を改竄(かいざん)したり削除したりしており、原文通りではない、と具体的に指摘して「遺族の心を踏みにじるものだ」と批判している。