「初老」も「世につれ……」

(第142号、通巻162号)

    第一線の職場をリタイアした頃から「老」という字に敏感になったような気がする。
    「敬老の日」と言うと9月15日をつい連想してしまうが、2003年から9月の第3月曜に移されたので、今年は21日が敬老の日だった。その日に合わせて総務省が発表した人口推計によると、老人福祉法の対象となる65歳以上の高齢者は2898万人。女性の4人に1人、男性の5人に1人にあたるという。

    まさに今や老人大国ではある。けれども「老」という言葉だけからみれば、統計的な裏付けがあるわけではないものの、昔から日本は老人が多かったと言うこともできる。老の入り口にあたる「初老」は、奈良・平安の時代から長い間「40歳」を意味していたからである。1904年(明治37年)に第1版が刊行された大槻文彦著『言海』の「初老」の項には「齢(ヨハイ)ノ40歳ニ及ビタルこと」とずばり明記されている。他の辞書の中には樋口一葉の作品から「年たてば我も初老(はつおい)の四十の坂」という例文を引いているのもある。

    明治の昔はともかく、昭和ではどうか。1969年(昭和44年)発行の『広辞苑』第2版をみると、「老境に入りかけた年ごろ。40歳の異称」とある。40歳といえば、男女とも働き盛りの世代である。人生50年の時代ならいざ知らず、現代の常識ではとても「初老」とは言えない。

    初老より上の世代は当然、老人《注》の範疇にはいるわけだから、老人人口の占める割合は相当高かったものと推定される。しかも、初老の「年齢」が社会の長寿化に合わせ、高齢化する傾向にあるから面白い。上述の『広辞苑』第2版と『新明解国語辞典』(三省堂)を定点にして調べてみると――

    1974年(昭和49年)発行の『新明解国語辞典』第2版は「肉体的な盛りを過ぎ、そろそろ体の各部に気をつける必要が感じられる時期」と編著者の実感がこもった定義の後に注を設け、「もと、40歳の異称。現在は普通に50歳前後を指す」としていた。それが1981年(昭和56年)発行の第3版になると、注の部分の後段が「現在は普通に60歳前後を指す」と10歳引き上げられているのだ。その後、この注は第4版から現行の第6版まで引き継がれている。つまり、昭和40年代から50年代までのわずかの間に「初老」は20歳も高齢化したことになる。

    「歌は世につれ世は歌につれ」の伝でいえば、「言葉は世につれ」である。当然、「辞書は言葉につれ」て変わる。この分ではいずれ、辞書の「初老」の項の説明は「もと、40歳の異称。現在は普通に70歳前後を指す」ということになるかもしれない。


《注》 WHO(世界保健機関)は、65歳以上を「老人」と定義している。『新明解国語辞典』第6版の「老人」の項では「すでに若さを失った人。たくましさは無くなったが、思慮・経験に富む点で社会的に重んじられるものとされる(元気な人は70歳を過ぎても老人と目されないことが有る)」としている。