気になる「目線」と「視線」

(第136号、通巻156号)
    総選挙の公示は来週の18日だが、事実上の選挙戦はとうに始まっている。各党はマニフェストを発表し、各立候補予定者もそれを基にした公約を演説会で、街頭で、声高に叫んでいる。それらの文書、演説の中にはたいてい「国民の目線に立って」「生活者の目線で」のような形で「目線」という言葉が使われている。
    「目線」という語を私が初めて意識したのは、20年ほど前、1枚のスナップ写真を見た同僚から「カメラ目線だね」と言われた時だった。カメラを意識している目、とか視線がカメラに向いている、とかいう表現ではなく、単に「カメラ目線」。うまいことを言う、と思ったが、当時はまだ一般的な言葉とは言えなかった。
    確かに、この語は戦後生まれの「新語」のようだ。もともとは、テレビ・映画・演劇などの業界用語だった。『日本国語大辞典』第2版(小学館)では、「目線」の語義として1978年発行の『現代楽屋ことば』を元に「映画・演劇などで、演技者が目を向ける方向」との説明を載せ、続けて1986年発行の『楽屋のことば』(戸板康二著)から「役者が演技中に、月を見あげたり、山を眺めたりする時の、目のつけどころを『目線(メセン)』という」との文例を紹介している。
    『日本国語大辞典』は、上述の説明の後に、2番目の語義として「転じて一般に視線をいう」とも記述している。しかし、「視線」《注1》は「目線」と重なる部分はあるにしても、意味・用法はかなり違うように思われる。
    独断と偏見で言えば、「視線」は主体的に、時にはある心情を抱いて対象物を見つめる方向、あるいは意図的な目の向きをいい、「目線」はただ単に目を向けること、あるいは見る先・方向を指すことをいう。また、人によっては、「視線」は左右、横の方角に重点があり、「目線」は上下、縦の位置に注目した語、という。『新明解国語辞典』(三省堂)《注2》の補説を付け加えると、「目線は目の動きに応じて顔も動かす点が異なる」となる。これなら、もともとの業界用語の説明としてもぴったりだ。
    しかし、昨今の「目線」の使い方を見ると、「視点」の意味で用いられるケースが圧倒的に多くなってきている。ものの見方、考え方、捉え方を表そうというわけだ。冒頭で挙げた「子どもの目線」のような使い方だ。それなら「子どもの立場から見ると」「専門家の見地から言えば」などと言い換えることもできる。
    最近は用法がさらに拡大し、次のような「熟語」も登場している。「上から目線」。会員制の知識探索サイト『ジャパンナレッジ』の「亀井肇の新語探検」によれば、「自分を上位とみなして、相手を見下す言動。『うえから』と略して使われることも多い。尊大な態度をとったり、何かを決め付けてけなしたり、指示や命令をしたり、恩を着せるようなことをいう」というような意味合いで使われるそうだ。
    「うえから」があれば当然「下から目線」もある。この熟語については、「尊敬のまなざし、の意」と解説する向きがある一方で、上司ばかり気にする「ヒラメ人間」の意という皮肉な解釈もあり、意味・用法ともに揺れ動いている。まだ視線が、いや「視点」が、定まってはいないようだ。


《注1》 「目線」が演劇界などの業界用語とすれば、「視線」はオランダ語が出自の医学用語。『日本国語大辞典』によると、当初は「視軸」と訳されていたが、明治中期から目の向きという意味で「視線」と変わって盛んに小説に登場。明治後期にかけて一般語として定着した、という。
《注2》 『新明解国語辞典』(三省堂)の第2版(1974年11月発行)と第3版(1981年2月発行)では、「『視線』の意の俗語的表現」としか扱っていなかった。上述で紹介した補説は第4版(1989年発行)からのもので、語釈として「(舞台・映画撮影などで)演技者やモデルなどの目の向いている方向・位置・角度など」と説明している。