身近にある「和尚読み」?!

(第110号、通巻130号)
    湯桶読み重箱読み、慣用読みなど、これまで漢字の読み方を様々取り上げてきたが、今回は「和尚読み」を紹介しよう。「和尚」は、一休和尚でおなじみの通り「おしょう」と読むのがふつうだ。と、持って回った言い方をしたのには、理由がある。宗派によって違いがあるからだ。
    一昔以上も前に買ったものの、久しく開いたことがなかった『岩波仏教辞典』で調べてみたところによると、「禅宗では‘おしょう’、天台宗では‘かしょう’、律宗真言宗真宗等では‘わじょう’(和上)といい、古くは高僧を呼んだが、今日では、住職・僧侶を一般に和尚という」とある。
    漢字の読みは「音」と「訓」の二つに大別されるが、音はさらに「呉音」「漢音」「唐音」などに分けられる。音読みの多くは漢音に基づくが、「和尚」の「和」の字を「お」と読むのは呉音である。
    呉音とは、奈良時代以前に日本に入って定着した、7世紀頃までの中国語の発音を言う。これに対し、漢音は7世紀から8世紀にかけて遣隋使や遣唐使などが中国から持ち帰った発音を指す《注》。
    実は、呉音は「和尚」に限らず、仏教関係の用語に多く残されている。例をいくつか挙げると、勧行(ごんぎょう)、権化(ごんげ)、現世利益(げんせりやく)、殺生(せっしょう)、供物(くもつ)、衆生(しゅじょう)を救う、大願成就(たいがんじょうじゅ)、などだ。
    このように仏教の言葉に多い読み方に注目して、「お坊さんと関係があるところから、私は呉音を『和尚読み』と呼んでいる」と名付けたのは加納喜光氏だ。『学研新漢和大字典』の編者の一人であり、漢字についての啓蒙書も数多く出している専門家である。そのうちの一冊『読めそうで読めない漢字2000』(講談社+α文庫)の中で同氏は、「善男善女」などの読み方の例を挙げながら「‘男’の‘なん’という音は‘だん’より古い漢字音で、4、5世紀頃お坊さんたちが中国の南方から伝えたものだ。専門的には‘なん’を呉音、‘だん’を漢音という」と説明している。このブログの標題は加納氏の説にならったものだ。
    とは言いながら、呉音を「和尚読み」とひとくくりにするには若干問題もある。呉音は医学関係の用語にも少なからず残っているからだ。ちくま新書漢和辞典に訊け!』(円満字二郎著)を読んで初めて知ったのだが、「疾病」の‘ぺい’、「内科」の‘ない’、「外科」の‘げ’、「静脈」の‘じょうみゃく’も呉音という。中国医学が日本に入って来たのも、仏教が伝来したのもほぼ同じ頃だったのだろう。
    呉音読みは、もちろん仏教関係と医学関係の用語だけではない。言語道断(ごんごどうだん)、妖怪変化(ようかいへんげ)、悪名(あくみょう)、久遠(くおん)、屏風(びょうぶ)、建立(こんりゅう)など様々な分野に及ぶ。
    こうしてみると、日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字など用字の種類が多いばかりでなく、漢字の読み方も多種多様である。川柳に「ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い」という風刺もあるヨーロッパ語どころではない。世界でも例のないほど表現法が豊かな国語と言える。


《注》 『日本語百科大事典』(大修館書店)、『日本語学辞典』(桜楓社)
《参照》 『暮らしのなかの仏教語小辞典』(ちくま学芸文庫宮坂宥勝著)